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NEXT NOTES ドバイ原油先物 ベア ETN【2039】の掲示板 2016/02/10〜2018/09/18

ブルームバーグ記事「20年間の職責全う、OPECサウジの原油最高責任者へ惜別」抄訳4

アル・ナイミ氏はサウジ・アラムコの全身であるアラビアン・アメリカン・オイル社に12歳から事務員として働き始め幾つかの階層を上り詰めてきた。
その実績は、原油生産量拡大策のみならず海外での原油精製や精製物販路確立に見られる。
1984年にはサウジアラビア人として初の総裁(President)となり、4年後にはCEOに任命された。1995年8月にはサウジ政府はナイミ氏を石油相に任命した。

ナイミ氏は在任期間の殆どで、アメリカなど需要国の受忍し得る原油価格維持に賛同してきた。
時としてイランやベネズエラが供給制限で価格吊上げを主張することもあったが、殆どの場合ナイミ氏はこれに応じなかった。
ナイミ氏は需要を締め付けることに懸念を抱いたからだ。

2014年夏の原油価格下落開始時には、ナイミ氏は30年前の悪夢を思い出したと言う。
当時サウジアラビアは業界で言われるスィングプロデューサーの役割を担って、価格防衛のために必要な減産を一手に担った。
ナイミ氏の前任者アハメド・ザキ・ヤマニが1983年にOPEC加盟国に減産を強制したが、その結果OPEC非加盟産油国増産が生じた。
当時ヤマニはOPEC減産で価格を吊り上げられると理論づけていた。

ヤマニの政策は最悪の結果に終わった。
OPEC非加盟国の増産で約40ドルあった原油価格は7.90ドルまで下がり、1980年には1,030万バレル/日あったサウジ自身の生産量も1985年には約3分の1の360万バレル/日に減少した。

一昨年来の原油安は米原油生産量急増で始まったが、ナイミ氏の対応は上記ヤマニの失敗が教訓となっている。

「価格が下がる怖さはこの目で見てきた。一方で生産量が落ち、同時に価格が下がる」「そこから失敗の教訓を学んだのだ」ナイミ氏は2015年3月のリヤドでの会合で1980年代の経験を語ったのである。