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さまよえる琵琶湖、北進を続けるか 誕生から400万年

琵琶湖はおよそ400万年前、いまの三重県で生まれ、断続的に北進を続けてきたとみられている。滋賀県中央部の「現住所」に落ち着いて43万年。だが、ここを終の棲家(ついのすみか)にする可能性は低いようだ。さまよえるわが国最大の湖はどこに向かうのか。

「琵琶湖が将来も現在地にあり続けるとは考えにくい」。滋賀県立琵琶湖博物館の上席総括学芸員で地質学の観点から湖の歴史を調べてきた里口保文さんは推測する。「あくまでこれから数十万年も先の話だが琵琶湖は消えているかもしれず、どこかに移動している可能性もある」と話す。なぜなら琵琶湖は「さまよえる湖」だからだ。

琵琶湖の始まりは約400万年前、三重県伊賀市のあたりにあった「大山田湖」だとされる。大山田湖と周辺の化石からは、琵琶湖の固有種ビワコオオナマズの祖先にあたるナマズなどが生息していたことがわかる。ワニや大型のスッポンもいた。湖の広さは「琵琶湖大橋」で区切られる現在の琵琶湖の「南湖」より一回り小さかったようだ。

大山田湖は340万年前のころまで存在。それがなくなると北方に「阿山・甲賀湖」が新たにできた。伊賀市と滋賀県甲賀市にまたがり、260万年前くらいまで続いた。広さは琵琶湖の「北湖」を下回った。その後、北西方面を中心に湿地や湖沼が点在する時代が続き、だいたい100万年前に「堅田湖」が出現した。いまの南湖と重なる。

  • >>6195

    ここまでが「古琵琶湖」と総称される。地層に注目する研究者は、いずれも琵琶湖の「祖先」といえる連続した湖だとみている。

    堅田湖が生まれたころ、現在の北湖のあたりには高い山々があった。これらが沈降して水をたたえ、琵琶湖の原型ができた。43万年前のことだ。それから北湖を中心に東へも広がり、いまのような姿になった。北湖の島々はかつての山々の名残だ。

    このように最初の大山田湖から一貫して、琵琶湖は北上してきた。同志社大学名誉教授の横山卓雄さんはかつて、琵琶湖が移動してきた速度を「年2、3センチメートル」と考えていた。1991年の東京での講演でこう表現したという記録がある。これを誤解し、いまでもこのペースで動いていると信じる滋賀県民は少なくない。

    北上してきた理由について里口さんは、断層運動という地殻変動により隆起と沈降が繰り返されたからだと説明する。だが、その背後に何があったのかは明確でない。地表を含めた地殻の下にいくつか存在するプレートの動きが影響しているとも考えられるという。

    これからどこに向かうのか。里口さんは予想を避けたが、立命館大学客員教授(地球物理学)の熊谷道夫さんは「北進継続の可能性」を示唆する。

    琵琶湖の北方は山岳地帯だが、多くの断層も確認されている。今後の断層運動で岩盤が崩壊すれば、北湖ができる前にあった山々と同じく、沈降しても不思議ではない。熊谷さんは「北に新たな湖ができる形で日本海へと突き抜けるかもしれない」と大胆な見通しを示す。

    再び琵琶湖が「散歩」に出るのはまだ先のようだが、足元でも微妙に姿を変えている。西側の断層運動で湖底は沈み続け、土砂が流れ込んでも浅くならない。熊谷さんが国土地理院のデータを分析した結果、東西両岸の距離はこの10年間で5センチメートル縮まった。

    熊谷さんによれば、琵琶湖は深くなり、収縮している。将来のかたちをとらえようとするならば、「万年」単位で思いを巡らせる必要がありそうだ。

  • >>6195

    「古代湖」日本では琵琶湖だけ 固有種60種以上

    滋賀県によると、世界には20カ所ほどの「古代湖」がある。通常の湖は流れ込む川が運ぶ土砂の堆積により1万年ほどで消失するが、古代湖は10万年以上続き、固有種を育む。日本からは琵琶湖だけがリストに載る。水生の動植物は1700種以上が確認され、このうち固有種は60種以上にのぼる。

    淀川水系の1級河川という位置づけで、県が国の委託で管理する。面積は約670平方キロメートルで、県全体の6分の1を占める。

    南方のくびれた部分にかかる琵琶湖大橋を境に南湖と北湖に分かれる。北湖の広さは南湖の11倍。平均の水深は南湖が4メートル、北湖は43メートルと極端に異なる。貯水量は275億トンで、下流域の1450万人が使う11年分に相当する。まさに「近畿の水がめ」だ。