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マサルの「政経学部」(誹謗中傷無し)
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マサルの「政経学部」(誹謗中傷無し)の掲示板

>>513

>無題
ニ~ハオ 投稿日:2020年01月21日 10:56 No.8901

>でも、農村部では売春宿に子供が売られていたのですよね?
そして、陸軍では農村部出身者が多かったといわれています。
単純に時系列で見れば、昭和恐慌と2.26事件は年数がたち、関係のないように思います、しかし都会では輸出産業が盛んになり経済復興を成し遂げたかもしれませんが、農村部ではどうだったのでしょうかね?

当時は現在と比べるも無い格差社会で、中でも農村は「小作人制度」に支えられた超格差社会だった。

高橋積極財政で国が恐慌を脱したと言っても、農村には女児を身売りしなければ生活できないような貧農は大勢いた。
しかも昭和恐慌時の昭和5年の国勢調査を見ると、全職業有事者の48%が農業に従事していたので、農村の悲惨さはさらに目立ったと思う。

当時は徴兵制だったので、農村から徴兵された兵士が沢山いた。
正義感に燃えた青年将校達が貧農出身の大勢の兵士達と接し、日本の政治を変えてやろうと言う気持ちになったとしても当然と思う。

だからと言って、「クーデターによってそれを達成する」事が良い事かというと、僕は「ノー」と言ってるわけです。

226事件が成功して、世の中が良い方向に変わったと思いますか?

226事件を起こした陸軍将校達の胸の内は理解できるが、彼らがクーデター達成後の日本再建の青写真をどこまで具体的に描いていたかというと、甚だ心許ない。

感情に逸って、クーデターが成功したら、天皇はきっと我々の行動を認めて下さる。そして政治は荒木貞夫や真崎甚三郎ら皇道派の陸軍幹部達に任せれば良いというような、他人任せの当てにならない夢想だけで事件を起こしたんじゃ無いですか?

少なくてもクーデターを起こすなら、自分たちの手で日本を再建するんだという気概と冷静な計画を持っていなかったら、やるべきでは無かったと思います。

それと前にも言いましたが、当時は「25歳以上の男子」という条件付きながら日本は自由選挙で国会議員を選べるようになっていた。
不十分ながらも議会制民主主義の道へ大きく踏み出していたのです。

226クーデター事件は未遂に終わったが、その後の日本の歩みを見ると、せっかく道が開けた議会制民主主義の道を閉ざし、戦争へとひた走っていった要因となったことは否めないと思いますね。