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oniyome 株式日記 (最新)の掲示板

>>9310

道具を使わせて一人あたりの処理量が増えてもその人の潜在能力は変わらない、従って道具を使わない人の潜在能力も低いとはいえないという命題のように思えましたが違ってるでしょうか? 能力は限られた時間にどれだけの付加価値を生み出すかを金銭評価するのが正しいのか?機会を与えられなかった氷河期世代は?
人間を生産財として評価=能力という価値観が広がりすぎていることについての危惧は私も持っています。しかし、生産性なんかとはまったく別の評価軸も健在のように思えるので‥‥難しいですが、古臭い大企業では労働力の過小評価は進んでいないと思います。

  • >>9313

    私自身は経営者ですので、労働生産性については、一般的なとらえ方をしていません。与えらえれた所与の条件下で如何に効率的に作業を行うか→労働生産性というとらえ方をしています。そこには、まじめに取り組むモラルや、コミュニケーションを密にすることによる齟齬の狭小化そして、機械設備も含め、フル活動をして付加価値の生産力を極限まで引き上げる操作能力などすべてが含まれます。これらを労働生産性というべきと捉えています。そして、逆に設備投資により生産性が上がった場合は、従業員の所得が増えるべきという考え方もとっています。もちろん、真面目さもしかりですが、機械設備や業務への知見・習熟度などに対する対価でもあります。すると、労働生産性自体は、極めて抽象的ですが、昔と変わらないのではないかと思えてくるのです。逆に設備による生産力の増強から言って、所得水準がもっと上がるべきではないかと・・・・。経済学者はどこで間違えたか、労働力の過小評価をあまりに進めすぎたのではないでしょうか?