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oniyome 株式日記 (最新)の掲示板
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>>9310
あと、私は根っからの自由主義者で、根本的に社会主義はねたみの政治と思っていますので、誤解をしないでください。正義はあっても、社会正義は無いと主義です。ただ、一人一人の人々のパワーや創造力の過小評価が進みすぎていることに、少々、危惧しているだけです。
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9313
>>9310
道具を使わせて一人あたりの処理量が増えてもその人の潜在能力は変わらない、従って道具を使わない人の潜在能力も低いとはいえないという命題のように思えましたが違ってるでしょうか? 能力は限られた時間にどれだけの付加価値を生み出すかを金銭評価するのが正しいのか?機会を与えられなかった氷河期世代は?
人間を生産財として評価=能力という価値観が広がりすぎていることについての危惧は私も持っています。しかし、生産性なんかとはまったく別の評価軸も健在のように思えるので‥‥難しいですが、古臭い大企業では労働力の過小評価は進んでいないと思います。
Roy********** 2016年5月7日 11:26
>>9303
すみません。私のうがった見方かもしれないのですが、労働生産性という言葉が良く見受けられるようになったのがITの深化とともに見られるようになったので、うがった見方をしたくなっているのかもしれません。ただ、工場設備を導入して生産力があがっても、「生産力があがった」という表現をしますが、「労働生産性があがった」とはいわないですよね?労働と生産能力は、別ではないかと疑い始めているのは、このような点にあります。コンピュータ、コピー、ネットワークも、工場設備のようなもので、生産力はあがったと表現すべきもので、労働生産性という言葉で、人間の能力が拡張しているようなイメージにすると、逆に、「生産性が低い」という表現に別利用される方が大きいのではないかと考え初めているのです。価格は、名目価格が重要なのではなく、やはり相対価格ですから、「生産性が低い」という言葉で、相対的に労働力の過小評価が進みすぎたのではないかと疑っています。