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世界史の掲示板

前1000年頃、ヘブライ人(ユダヤ人)がパレスチナに建国した国家。前10世紀、ダヴィデ王・ソロモン王のころを最盛期に、前922年ごろ、北のイスラエル王国、南のユダ王国に分裂した。唯一神ヤハウェを信仰した。

前586年、ユダ王国が新バビロニアのネブカドネザル王に征服され、住民のヘブライ人がバビロンに連行されて捕囚となった。前538年にアケメネス朝ペルシアのキュロス2世が新バビロニアを亡ぼしたときに解放された。ヘブライ人はこの民族的苦難の体験を伝えるべく帰国後イェルサレムにヤハウェ神殿を建設、ユダヤ教の信仰を成立させた。

バビロンの王ネブカドネザル

ネブカドネザルはユダの地を属州とし、総督をおいて支配したが、潜伏した反バビロニアの人々の抵抗が続いた。総督暗殺事件が起こると報復を恐れた反バビロニア派の多くはエジプトに亡命した。なお、エレミヤ書に依れば、前582年に第3回のバビロン捕囚が行われ、745人が連行されたと言うが、詳細は分からない。イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアは、人々を強制的に分散させ、イスラエルの地には他から入植者を移住させたが、ユダ王国を滅ぼした新バビロニアは、集団としてまとまってバビロンに連行し、またその跡地には他から入植させなかった。そのため、解放された人々が戻ったときには比較的民族としてのまとまりを維持することができた。しかし、かつてのイスラエル12部族の内、バビロン捕囚後も存続できたのはほとんどがユダ王国の中心部族だったユダ部族だった。そのため、バビロン捕囚後は「ユダの民」つまり「ユダヤ人」といわれるようになる。