投稿一覧に戻る 日本史の掲示板 139 okabe 1月5日 22:05 葛城高顙姫(かずらきのたかぬかひめ)は新羅からの渡来人・天之日矛(あめのひぼこ)の子孫とされるが、その系譜に名を連ねる田道間守(たじまもり)といえば、 崇神天皇で、葛城王朝を滅ぼして新王朝を打ち立てたことで、迦具夜比売命が苦境に立たされたという。 「崇神天皇は開化天皇の御子ではなく、旧王朝を滅ぼして系譜を無理やり繋げた」 第10代崇神天皇に始まる大和朝廷つまり三輪王朝より前にこれに先行する王朝が葛城山と大和平野の西南部に存在したのではないかという仮説 神武天皇を葛城王朝の始祖、崇神天皇を三輪王朝に始祖とし三輪王朝に先行して葛城王朝が存在したとしました。 神武から開化に至る9代の天皇の皇居と陵墓は大和平野の西南にあたる葛城山麓から畝傍山にかけての地域に集中していて、崇神に始まる大和朝廷初期(三輪王朝)の皇居と陵墓が平野の東南部にあったのとは対照的な関係を持つ 返信する そう思う0 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
okabe 1月5日 22:05
葛城高顙姫(かずらきのたかぬかひめ)は新羅からの渡来人・天之日矛(あめのひぼこ)の子孫とされるが、その系譜に名を連ねる田道間守(たじまもり)といえば、
崇神天皇で、葛城王朝を滅ぼして新王朝を打ち立てたことで、迦具夜比売命が苦境に立たされたという。
「崇神天皇は開化天皇の御子ではなく、旧王朝を滅ぼして系譜を無理やり繋げた」
第10代崇神天皇に始まる大和朝廷つまり三輪王朝より前にこれに先行する王朝が葛城山と大和平野の西南部に存在したのではないかという仮説
神武天皇を葛城王朝の始祖、崇神天皇を三輪王朝に始祖とし三輪王朝に先行して葛城王朝が存在したとしました。
神武から開化に至る9代の天皇の皇居と陵墓は大和平野の西南にあたる葛城山麓から畝傍山にかけての地域に集中していて、崇神に始まる大和朝廷初期(三輪王朝)の皇居と陵墓が平野の東南部にあったのとは対照的な関係を持つ