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日本航空(株)【9201】の掲示板 〜2015/04/28

3886

tabidokuc 強く売りたい 2013年1月21日 20:24

>>3869

鬼畜集団vultureは、淫行もするのカネ!

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1007733&tid=a5aaa5ja5sa5qa598w3x9a96h&sid=1007733&mid=101470

http://kusanohozon.blogspot.jp/p/blog-page_381.html

希代の悪党! 糸山英太郎―『週刊仕置人』
―スクープ!―
糸山英太郎“16歳少女淫行”の全貌 [まえがき]

 16歳の少女と淫行に及んだ糸山英太郎は「16歳とは知らなかった」という理由で検察も立件を見送り、久松署に設置した50人体制の捜査本部も解散した。もしこの言い分を認めるなら“児童買春”は1件として摘発できないことになる。
 “15万円”の金銭授受は糸山自身も、あっせんした者も認めているのだからこれだけで“売春”にあたるのではないだろうか。

 このスクープ―糸山英太郎“16歳少女淫行”の全貌―に掲載した糸山の住居内部や、関係者の「供述調書」によって、糸山がいかに“変態色情狂”だったかを知ることができよう。
 こんな糸山が、自らを“教育者”と称して「湘南工科大学」に君臨していることは学生にとっても、助成金を出している国民にとっても理不尽であり、黙視するわけにはいかない。

 [糸山英太郎プロフィール] ―希代の悪党! 糸山英太郎<4>へ

―スクープ!―
糸山英太郎“16歳少女淫行”の全貌 -リード記事

 1.“事実無根”と開き直った厚顔無恥
 少女をあっせんした人物が捕まって、淫行に及んだ糸山英太郎が、なぜ逮捕されないのか―。

 2.糸山“16歳少女淫行事件”のあらまし
 平成15年7月12日から13日にかけて、ゴルフ場などを経営する「新日本観光」の所在地である“ザ・イトヤマタワー”の裏にあるテニスコートでテニスをしたあと、糸山は16歳の少女とセックスをした。
「午後10時ごろ食事を終えて他の人は帰りましたが、A子さんと私は18階に上がりました。テニスウェアを借りていたからです。だから着替えとシャワーを浴びるために18階に上がったんです。ところがシャワーを浴び、服を着替えて出てくると、20畳ぐらいあるリビングにA子さんはもういませんでした。・・・

 3.捜査本部を設置しながら解散した警察
 久松署の担当警部補が、久松署署長に宛てた「捜査報告書」の末尾には次のようなくだりが記されている。・・・

 4.“16歳少女”を糸山に斡旋した“女”の「供述調書」
 銀座ホステスだった仁美は当時24歳。平成13年3月23日に糸山との合コンに誘われた、という。そこで合流したのは<AV女優(30歳くらい)とストリッパーの女性(25歳)でした。(中略)確かビルの一階だったと思います。店内に入るとタレントの羽賀研二がテーブルを前にして、ソファーに座っていたのです。(中略)羽賀さんは私達に「羽賀です。よろしく。今日はJALのオーナーの接待みたいになるけど・・・>(『供述調書』より)・・・ どうも女の調達はタレントの羽賀研二ともう一人の社長が行なっているようで、糸山に若いタレントやファッションモデル、また14歳や15歳の“少女”とのセックスを手引きし、糸山は自慢げに話していたという。・・・

 5.糸山が石原都知事に“献金”した3,000万円の不可解
 “16歳少女淫行事件”が起きたのは平成15年7月12〜13日にかけてだった。
 過去10年の“収支報告書”を見ても、糸山が石原に献金した事実は無い。
 3,000万円石原知事へ寄付した理由と犯したミスとは・・・

  • 3887

    tabidokuc 強く売りたい 2013年1月21日 21:24

    >>3886

    淫行の帝王・糸山英太郎の自己紹介!

    http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=FN&action=m&board=1009205&tid=9205&sid=1009205&mid=166344

    私(糸山英太郎)が日本航空の株を最初に取得したのはかなり前で、昭和5

    0年代のことだった。

    きっかけは、国際興行の社主で、JALの会長もやった故小佐野賢治さんに

    勧められたからだった。

    「糸山君、やっぱり空はロマンだよ。君みたいな若いもんがロマンを持たな

    くてどうすうするんだ。これは日本のための投資でもあるんだよ」

    「糸山君、日本は島国だ。どこへ行くにしても必ず飛行機が必要だ。君、日

    本を牛耳るつもりなら、JALの株を持たなきゃいかんな」

    昭和53年頃だったと記憶している、当時はJAL株は額面が

    500円だったこともあり株価は3000円近くしていた。とりあえず私は

    100万株ほど取得することにした。

    その小佐野さんが亡くなったのは昭和61年10月27日のことであった。

    小佐野さんが亡くなってしばらくすると、私のところに総会屋といわれてい

    る河合大介氏が訪ねてきた。彼は私の旧くからの友人で小佐野さんとも関係

    があった。その河合氏が、こう言ってきたのである。

    「糸山さん、ひとつJALを助けてやってくれないか。国際興行も苦しいんで・・・」

    要するにJALの株価が低迷していたので、私に「買い」に入ってほしいと

    いう依頼だ。

    値下がりしたままのJAL株を放っておくわけにいかない。徐々に買い足し

    ていって、平成7年には1200万株にもなっていたのだ。

    1200万株といえば、個人筆頭株主である。本来ならこの時点でJALか

    ら大株主に対して挨拶があってしかるべきだが、何もなかった。

    経営陣が誰一人として挨拶にこなかった代わりに、総会屋がやってきた。

    古参の総会屋の上森子鉄氏という男だった。

    次に来たのが、野村證券・第一勧銀の利益供与事件で捕まった小池隆一氏だ。

    「糸山会長、申し訳ない。いずれ時機をみて社長にちゃんと挨拶に来させる

    から、あんまり手荒なことをしないでください」

    と、初めから低姿勢でやってきた。

    「挨拶に来ないのもけしからんが、大株主なのに飛行機の席さえろくに取れないんだ」

    「そんなことならお安い御用だ。席なら総務に言っていつでも取らせるか

    ら」と、小池氏は即座に答えた。

    個人筆頭株主の私でさえ取れない席を、総会屋の小池氏なら電話一本で取れるという。

    当時のJALは、総会屋とそんなズブズブの関係だったのだ。

    その後、「最後の大物総会屋」といわれた小川薫氏も来た。

    「糸山さんの真意が知りたい」

    「悪いようにはしないから、とにかく矛を収めてくれ」

    などと話しては帰っていった。

    JALという会社はいったいどうなっているのか。

    まだ、ケンカも始まっていないのに、裏から手を回すことばかり考えているようだった。

    (『ケンカ哲学』糸山英太郎 河出書房新社)

    続く