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(株)ナイスクラップ【7598】の掲示板 2015/04/08〜

>>31


<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”>⑤


 ― ”戦後の洋装化加速元年”は1948年(昭和23年)―

先に「戦後の洋装化加速元年”は1948年(昭和23年)」と書いたが、
このことを補足する記述が”戦後の流行史の傑作本「流行うらがえし」
(うらべまこと著)”にもあった。

以下はその記述から~

ー 洋裁店ブームの頃 ー

銀座八丁目にポツリポツリとあった23件が、昭和23年から5年にかけて
爆発的に増えてきた。23年組が「ルノアール」「オランダ屋」「片倉
日東サービス店」「米屋」「マッコーネル」「ボリオス」「ストック」
「カワムラ」の各店。

24、25年組は「マドンナ」「銀座シルク」「トリヰ」「レスポワール」
「ベラミ」「サンヨー」「マミ」「佐野屋」「ベル」「小松」など。
ここに挙げたのは、代替わりしょうと合併しようと、とにかく現在まで
姿を留めているものだから、中途でつぶれた店まで数えると無慮数十。
華々しい洋裁店ブームである。

東京都の衣料扱いの登録店は、22年には700軒だったのが、23年には
2400軒と1年簡に3倍半ふくれ上がったのである。


※この「流行うらがえし」、興味のある方は、昭和57年再刊ものより、
昭和40年発刊の初版本の方がお奨めです。巻末に付録として五つ折り
の”戦後服飾史年表”があるので。

  • >>34

    <only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”>⑥


    ― 日本のカジュアルウェアーの元祖・石津謙介 ―

    石津謙介が佐々木営業部(レナウンの前身)から「石津商店」と
    して独立するのが1951年(昭和26年)のこと。
    その後、VANの商標を登録し、1954年(昭和29年)にヴァンジ
    ャケットと改称する。

    で、創業当初のVANのおかれた状況をみてみることにする。

    以下は「アイビーは、眠らない(花房孝典 著)」より抜粋。

    ”当初のVANは、英国式の高級紳士服を製造販売していた。これ
     は石津の、国際都市天津で体得した「男の正しい服装は伝統的
     な英国式のものである」という強い観念が反映されていた。
     が、当時の日本は、既製品は「吊るし」と称されて軽蔑され、
     腰弁と揶揄された一般サラリーマンでさえ、年に1、2着はオー
     ダーで背広を作るのが当然という時代であった。”

    ”石津は、レナウン時代に培った研究心で、さまざまな分野から
     資料を集め、研究をはじめた。当時の日本は、なにごともアメ
     リカ式が主流だった。若者のファッションも、アメリカの影響
     を強く受けていた。しかし、それはファッションといえるもの
     ではなく、米兵たちの非番の服装が手本になっていた。アロハ
     シャツにジーンズ、ラバーソールの靴にサングラスという異常
     ないでたちの若者たちが街にあふれ、世の顰蹙を買っていた。”

    ”石津はそこに目をつけ、マーケット・リサーチを試みた。結果、
     若者のための真っ当なファッションが市場に存在しないことに
     気づいたのである。石津は、新生VANのターゲットを若者にし
     ぼった。そして、あらゆるファッション関係の資料を漁った。”


    結果、当時米国の若者の新しい潮流になっていた「アイビー・リー
    グ・ルック」を、石津を媒介に日本に持ってくるという「アイビー
    ルックの日本移植」がはじまるのである。

    これこそが後に「カジュアルウェアー」といわれるものの出発点の
    一つでもある。