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(NEXT FUNDS)日経平均インバース上場投信【1571】の掲示板 2019/05/07〜2020/06/22

第150回 同盟問題(2)
 「独伊が英仏と戦争する場合、条約の条項に基づき、日本が参戦するのはのはもちろんだ」
× × ×
 公然と訓令に逆らう大島、白鳥の「参戦」発言。平沼内閣が仰天したのは言うまでもない。だが、政府と軍部は一枚岩ではなかった。外相の有田が五相会議で、両大使の発言を取り消す訓令を出そうと主張したものの、陸相の板垣征四郎は両大使の肩を持つような意見を唱え、訓令があいまいなものになってしまう。
 のちに有田は、当時の状況をこう書き残している。
 「東京において陸軍の主張が通らず、(陸軍にとって)不本意の訓令を政府の名において発出されると、今度はこの政府の訓令を現地において(大島と白鳥が)メチャメチャにしてしまおうとした」
 最悪の状況だ。しかし、ここで昭和天皇が動く。4月10日、陸相の板垣に《出先の大島・白鳥両大使が訓令に反し参戦義務を明言したことは大権を犯すものとのお考えを示され、陸軍大臣が五相会議においてこれを擁護したこと、また会議ごとに決定事項を逸脱する発言をすることに対し、御注意になる》(昭和天皇実録26巻44頁)。
 昭和天皇は、欧州の戦争に巻き込まれまいとする政府の方針を、貫徹させようとしたのだ。
 昭和天皇の苦悩は尽きない。その頃、陸軍に籍を置く雍仁(やすひと)親王とも意見が対立した。先の大戦後、側近にこう打ち明けている。
 「私は秩父宮(雍仁親王)と喧嘩をして終(しま)つた。秩父宮はあの頃一週三回位私の処に来て同盟の締結を勧めた。終には私はこの問題に付ては、直接宮には答へぬと云つて突放ねて仕舞つた」(昭和天皇独白録より)
 昭和天皇が憂慮を深める中、海千山千の平沼はどうしたか-。実は、いたずらに小田原評定を続けていたわけではなかった。戦争回避に向け、極秘で日米交渉を画策していたのだ--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 大島は駐独大使館付武官となった昭和9年頃からナチス高官との接触を深め、日独防共協定を画策(11年調印)。13年に駐独大使になると、防共協定を軍事同盟に格上げしようと奔走した。一方の白鳥は、外務省情報部長だった昭和6~8年、満州事変で強硬論を唱え、国際連盟脱退を主張したことでも知られる

(NEXT FUNDS)日経平均インバース上場投信【1571】 第150回 同盟問題(2)  「独伊が英仏と戦争する場合、条約の条項に基づき、日本が参戦するのはのはもちろんだ」 × × ×  公然と訓令に逆らう大島、白鳥の「参戦」発言。平沼内閣が仰天したのは言うまでもない。だが、政府と軍部は一枚岩ではなかった。外相の有田が五相会議で、両大使の発言を取り消す訓令を出そうと主張したものの、陸相の板垣征四郎は両大使の肩を持つような意見を唱え、訓令があいまいなものになってしまう。  のちに有田は、当時の状況をこう書き残している。  「東京において陸軍の主張が通らず、(陸軍にとって)不本意の訓令を政府の名において発出されると、今度はこの政府の訓令を現地において(大島と白鳥が)メチャメチャにしてしまおうとした」  最悪の状況だ。しかし、ここで昭和天皇が動く。4月10日、陸相の板垣に《出先の大島・白鳥両大使が訓令に反し参戦義務を明言したことは大権を犯すものとのお考えを示され、陸軍大臣が五相会議においてこれを擁護したこと、また会議ごとに決定事項を逸脱する発言をすることに対し、御注意になる》(昭和天皇実録26巻44頁)。  昭和天皇は、欧州の戦争に巻き込まれまいとする政府の方針を、貫徹させようとしたのだ。  昭和天皇の苦悩は尽きない。その頃、陸軍に籍を置く雍仁(やすひと)親王とも意見が対立した。先の大戦後、側近にこう打ち明けている。  「私は秩父宮(雍仁親王)と喧嘩をして終(しま)つた。秩父宮はあの頃一週三回位私の処に来て同盟の締結を勧めた。終には私はこの問題に付ては、直接宮には答へぬと云つて突放ねて仕舞つた」(昭和天皇独白録より)  昭和天皇が憂慮を深める中、海千山千の平沼はどうしたか-。実は、いたずらに小田原評定を続けていたわけではなかった。戦争回避に向け、極秘で日米交渉を画策していたのだ--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載) ◇ (※1) 大島は駐独大使館付武官となった昭和9年頃からナチス高官との接触を深め、日独防共協定を画策(11年調印)。13年に駐独大使になると、防共協定を軍事同盟に格上げしようと奔走した。一方の白鳥は、外務省情報部長だった昭和6~8年、満州事変で強硬論を唱え、国際連盟脱退を主張したことでも知られる