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家人が緩和ケア病棟に入院する事になりそうだ。 人生の終わらせ方は、誰にとっても非常に難しい。
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昨日は雨だし寒いしMX2で観戦 通りかかった家人が 「えっ?これだけ?」 確かに少ないよねー、でも面白かったです
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みなさん、お早うございます!^^ 普請ですか。いまはあまり使わないけど江戸時代はよく使った言葉のようで・・ 時代小説だとよく出てくる言葉、武士と庶民では意味あいが少し違う ようですが・・現代は、無料奉仕ですか・・ とくに幕府の武士の場合、「普請」というと 役職についてない旗本や御家人でも、幕府から俸給をもらってるので 普請奉行の支配されていて、ときには いろいろ命じられたそうですけど・・そのかわり、熱心にやれば ときには、役職に就ける場合もあったようで・・賄賂も 必要だった場合もあるかな・・^^ プレデターもので、エイリアン対プレデターというのもありましたね。 映画では、エイリアンが登場した方が古いようです。 ・・・
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目標株価:GS@¥3300、JPM@¥3400、クソ野村@¥3600を参考にした自分の愚かさを嘆く。 家人のカネにまで手をつけてこの体たらく。
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はい。 いつも思い出し笑いしてニヤ、ニヤしてます。 家人からニヤ付いているところ見られて気持ち悪いと言われました。ww🪭(๑•👄•๑)🪭w🪭(๑•👄•๑)🪭w🪭(๑•👄•๑)🪭w
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売り時を逃したかはあと数年経たないと分からんのです。 オレは18/11頃アドバンテストがダラダラと下げ続け、その途中で売り払って、さらに下げるので「オレの判断はそれなりに正しい。」とほくそ笑んでいたのよ。今となっては愚かだ。(当時のアドテストの表面利回りは確か3%超えていたと記憶する。) それから1年くらい経過した頃だったかな、爆騰開始。今に至ってる。 nvdaにしても、22/9-11にかけて相当な暴落。売って、みっともないことにほくそ笑む。 株のことは俺から勧められて買った家人は不貞腐れつつも、ホールド。 結果、昨年は歓喜して半分だけ利確。相当な収益得てる。オレは、やむなく買い戻した。ホールドした奴がほくそ笑んだ。 そんなもんなんだよ。自分で少しは惚れたのならホールドもありじゃない? もっとも、投資は自己責任で、オレの言ってることは眉唾と無視するのが株をやってる人間の鉄則。要するにレーティングとかは参考で最後は自分の頭で考えるしかないです。
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>米国の敵、西側諸国の敵、人類の敵はロシアよりも中国だよ。 今、米国やEU,日本がウクライナに無償の支援をして体力を奪われ ほくそ笑んでるのは中国。 本当に戦争は厄介。 鎌倉幕府の弱体化は、元寇が原因。 モンゴルに勝ちはしたものの その後、御家人に恩賞を渡せず、それで衰退した。 中国の王朝もそう。 戦争にカネを費やして崩壊した例は一杯ある。 だから、中国は ロシアが暴れて、米国やその同盟国が 金を浪費しまくれって思ってる。 西側諸国が弱体化したのを見計らって 台湾侵攻を実行する。 だから、ウクライナから引き揚げて 対中攻略に専念しろと言ってるのが 地政学の大家ジョン・ミアシャイマー。
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『長州の生神様と呼ばれた神霊治療者・松下松蔵/不二龍彦・日本神人伝』 『松蔵には、物質的欲望が欠落していた。身にはボロをまとい、口にするのはほぼ一汁一菜。獣肉は口にせず(獣肉を食うと心臓が弱り、血が濁ると語っていた)、火を通したものも食べなかった。わが身のことにはまったく無頓着だったが、信心は謹厳そのもので、朝4時ごろに起床し、夕方まで参拝してくる病者に対応した。 「欲が出れば神様に御仕えすることはできない」という松蔵は、御手数の代価は求めず、お礼を問われると、「それは貴方の勝手である」と機嫌が悪くなった。 膨大な参拝者に応対するために、新たに住宅と神殿を建てたが、このときも寄進したいという多くの申し出を、「神様の御許しがない」といって断り、自ら借金して建設した。 塩谷が松蔵宅に泊まっていたように、多くの参拝者が宿泊して御手数を受け、長い者は数か月も泊まりつづけた。家人は参拝者のために「1日にお米を3俵から4俵炊いて食事の準備をした」。その負担は並大抵ではなかったが、松蔵は宿泊代や食事代をとるでもなく、日がな黙黙と御手数を施し続けた。松蔵とは、そういう男であった。』 https://web-mu.jp/history/21732/ 2021.05.20にWebムー公開された記事だけど・・・ 松下松蔵さんは、不思議な力で病気を治すことができたらしい。 そして無欲なので対価は求めなかったらしい。 親を大切にする。 先祖を大切にする。 天皇を大切にする。 神様を大切にする。 と言うような事が重要だと思ってたようだ。 金沢在住の本城千代子という弟子がいたらしい。 知らんけど・・・・。
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妹尾兼康(せおかねやす) ?~1183 平安時代末期の武将。平氏の家人。 通称太郎。 本領は備中国都宇郡妹尾村。 1180年12月、大和国検非所に任命され、 五百騎あまり率いて奈良に向かった。 しかし南都衆徒の抵抗に遭って郎党の 一部が斬首されてしまった。 これに激怒した平重衡により、 南都焼き討ちを行われた。 1183年4月、平維盛による源義仲追討の 軍勢に参加して北陸へ出陣。 翌月、俱利伽羅峠の戦いで大敗し、 義仲麾下の武将倉光成澄に捕まった。 従う姿勢を示した事で助けられ、 成澄の弟成氏の預かりとなった。 義仲が備中国へ進出した際には先導役を 務めたが成氏を誘導の末に裏切って殺害、 備中国内の平氏方を集めて反旗を翻す。 追討軍を率いる今井兼平の猛攻を受け、 福隆寺縄手の戦いで敗死した。
さすがに下がりすぎてますので買…
2024/04/23 15:08
さすがに下がりすぎてますので買いました。 コロナ禍前はGWあたりまで上げて、そのあと6月に向けて下がる傾向にあったと記憶してます。 事情が変わってしまいましたから、はたしてどうなるかわかりませんが😅 『鎌倉殿の13人』が放送してたころはよく伊勢原から新松田あたりを見に行きましたよ。あそこらへん沿線はほぼ鎌倉の御家人の土地でした。 戦国時代から江戸時代の城と違って、山城が多いのであまり目立たないかもしれないですけど。 伊勢原から鶴巻温泉に行くまでに見える、平塚方面の山。あそこは鎌倉御家人の土屋氏の山城。たしかその範囲は中井町/小田原市あたりまであったような。 渋沢から新松田一帯は藤原秀郷流波多野氏傍流松田氏の土地・・・だったかな。 長々と失礼致しました・・・😅