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投稿コメント一覧 (1020コメント)

  • 寝る
    遅れは明日とりもどす
    今回の競争は負けへん
    鴉が竜より先にいくばん
    今日は知識の摩天楼へ💤

  • >>No. 1885

    皆さん 今週もお疲れ様でした!

    美味しいお酒とおつまみは
    最高の至福ですね🍶🐸
    飲み過ぎだけ、お気をつけ下さい🤭

    今日はトレードせず。
    ちょっぴり含み損が増えました>.<;

    肩の痛み、湿布に自然治癒でOKかと✨
    あ…、緊急事態宣言…出てましたね😅
    私んとこも出てます。
    ただ、電車通勤してると意味あるかな?
    と思ったりもします🤔

    さすがにバテたので、もうお布団へ…💧

    良い週末をお過ごしください🌟
    おやすみなさい💤🌜

  • >>No. 1880

    ちくわちゃん ありがとうございます✨
    少し良くなりました!
    お薬を倍飲んで効果アリ!✨
    でもフラフラ笑 電車の揺れが〜😂

    はい!今日も真っ直ぐカエル笑🐸

    慢性の肩こりや頭痛もあるんですね💦
    お薬も良いですけど…
    温泉でのまったりがまた必要ですね✨

    今日もお仕事、頑張ってください🤗

  • 皆さん おはようございます🌞

    昨日はご心配おかけしました💦
    たくさんのお返事、
    ありがとうございました🌟

    土日休みなので、
    今日1日耐えようと思います!😤

    みなさんも体調お気をつけて、
    お仕事にトレード、頑張って下さい✨

  • >>No. 1856

    皆さん 本日もお疲れ様でした✨

    私は今日は利確なしでした😑
    インバ持ち越し。
    良い報告できなかった…ざんねん😂

    微熱と咳があるので、
    もう寝ようと思います🌜

    おやすみなさい💤

  • >>No. 1851

    皆さんおはようございます。
    こちら、バッチリ快晴です🌞

    とうとうトレードの日ですね。
    皆さんにご利益がありますように…🌟

    もんちゃん、
    お好みはまた豚玉マヨ付きかな?
    ビールはどこの製品が好きなんかな?🤔
    私んとこ、ビールはア○ヒは品切れ✨
    主にキ○ンかサン○リー派なので笑
    トレードに勝って、また美味しいの
    沢山食べてくださいね🍪🍶☺️

  • 皆さん こんばんわ🌜

    明日から市場が開きますね。
    またハラハラするのかと思うと…(^^;)
    連休明けの初日です。
    ドレードする方、お休みする方、お仕事の方…
    どうぞ良い日にしてください✨

    それでは、おやすみなさい💤

  • 安達景盛(あだちかげもり)~2~

    景盛は出家後も幕政中枢で与し、承久の乱では
    北条時房の下で戦い、河内国讃良庄の地頭職に
    補されている。
    景盛の娘は兼好法師の『徒然草』の中で、
    質素倹約の範を自ら示した話によって名高い
    松下禅尼で、執権北条泰時の嫡子時氏の室と
    なって、のちの執権経時と時頼を産んだため、
    外祖父として権威を高めた。
    時頼執権時、北条氏と同格の力を得ていた
    三浦氏の討伐を画策、宝治合戦にて滅ぼした。
    景盛は源三代の将軍に仕え、北条氏と密接な
    関係を築いて安達氏の隆盛に導いた。

  • 安達景盛(あだちかげもり)~1~
    ?~1284
    鎌倉前期の武将。父は九郎盛長。通称弥九郎。
    幕府創世記より父と共に源頼朝に仕えた。
    頼朝死後まもない1199年、三河国へ出向中に
    二代将軍頼家により愛妾を奪われた。
    この時、頼家は後見の梶原景時の讒言により、
    景盛誅殺を図るも、政子の諫止により留まる。
    この事件も関連した景時弾劾の際、景盛は
    強硬な態度をとり、父と共に弾劾状に署名。
    将軍実朝の代には右衛門尉・出羽介に任官し、
    さらに秋田城を管したので、秋田城介を称す。
    以降、秋田城介は安達家世襲の職となる。
    1219年、実朝の死後に出家、法名大蓮房覚智。
    高野山に入り、高野入道と称され、実朝菩提の
    ため金剛三昧院建立。信仰深く、明恵上人とも
    親交を得、和歌の贈答が本日まで残っている。

  • >>No. 1826

    あ!美味しそうですね😋
    お腹、減ってますので
    私もいただきます✨

    パクっ

    青つぶ次郎も全て頂きました、
    ごちそうさまでした🎵🐸🤭

  • 安達顕盛(あだちあきもり)
    1245~1280
    鎌倉中期の武将。父は秋田城介義景。
    通称城六郎。
    兄泰盛・時盛と共に早い時期から幕政に参与。
    1274年3月22日、加賀守に任ぜられた。
    1278年には評定衆となり、兄泰盛を筆頭に
    安達氏一門の勢力拡大に貢献した。
    1280年2月8日、36歳で死去。

  • 安宅頼藤(あたぎよりふじ)
    生没年不詳
    南北朝期の武将。安宅次郎四郎頼定の子。
    備後権守と称す。
    安宅氏は紀伊国牟婁郡安宅庄で起こり、
    橘姓を称した。
    1350年、淡路の海賊を防ぐために同国由良に
    居城する。翌年6月9日、細川頼春より阿波国
    牛牧庄地頭職を預けられた。のち南朝に属し、
    1359年7月、備後守に任ぜられた。

  • 阿曾沼弘綱(あそぬまひろつな)
    生没年不詳
    南北朝期の武将。光郷ともいう。
    父は公綱。又次郎、下野守と称した。
    阿曾沼氏は下野国安曾郡阿曾沼郷を本拠とし、
    弘綱の祖父親綱は承久の乱で活躍し、安芸国
    安芸郡世能荒山庄地頭職を勲功として授与。
    1336年2月28日、弘綱は尊氏の命で安芸国内
    で蜂起した新田義貞党の討伐を行う。
    観応の乱では足利直義方についたが、直義が
    死去すると足利義詮に帰属し、安芸守護職の
    武田氏信に従い、南朝討伐にあたって功を得、
    足利尊氏の感状を受けている。

  • 阿蘇惟村(あそこれむら)
    ?~1406年
    南北朝時代の武将。肥後国阿蘇神社大宮司。
    阿蘇惟澄の長子。惟時の養子。
    惟時・惟澄から順序、大宮司職と阿蘇家所領
    を引き継ぎ、将軍足利義詮から所領・所食の
    安堵を受けた。
    これにより、南北で対立していた大宮司職が
    惟村の代で統一されたようである。
    南北朝対立抗争では、惟時に近い立場をとり、
    父惟澄とは対立していたという。
    肥後守護職に任じられたが、支配権を強める
    ことができず、九州探題の今川貞世らに力を
    抑えられた。
    1406年、所領・所職を子息惟郷に譲る。

  • >>No. 304

    衙職の衙(が)なんて習わない💦
    ときおり知らない字が出る。
    でも勉強になる。
    衙は、宮廷の役所という意味の字。

    阿蘇惟政…
    うん?戦国時代にも同名がいたような…

  • 阿蘇惟政(あそこれまさ)
    生没年不詳
    南北朝後期の武将。惟武の子。
    惟村・惟郷父子と肥後国阿蘇神社大宮司職
    をめぐる確執から宮方についた。
    1377年、征西将軍宮懐良親王より大宮司職
    と所領が認められた。
    1385年、将軍が良成親王に父の遺領を継ぎ、
    1386年、日向国衙職に補任され、豊後国日田
    郷を安堵されている。
    のち南北朝合体後は親王を離れ、菊池武朝と
    共に武家方に降った。

  • 阿蘇惟直(あそこれなお)
    ?~1336
    鎌倉末期から南北朝前期の武将。
    肥後国阿蘇神社大宮司。惟時の子。
    1333年、幕命で千早城攻撃に向かう途中、
    護良親王の令旨を受け、備後より帰国。
    菊池武時らと北条英時を討とうとしたが、
    大友貞宗・少弐貞経らの変心により失敗。
    1336年2月、足利尊氏と多々良浜の合戦で
    敗北、肥前国小城郡天山(小杵山)で自刃。
    弟九郎惟成も付近で死亡した。

  • 阿蘇惟時(あそこれとき)
    ?~1353
    南北朝時代の武将。肥後国阿蘇神社大宮司。
    宇治惟時とも称す。惟国の子。
    1333年以後、六波羅攻撃や箱根竹ノ下の戦い
    など天皇方として転戦、子息惟直が多々良浜の
    戦で敗死したため大宮司職に復帰した。
    戦後、尊氏が一族の坂梨孫熊丸に職を任じた為
    に立場が動揺、北朝方に走った。
    1349年、征西将軍宮懐良親王に帰順した。
    1351年、嗣子惟村に職を譲る。

  • 阿蘇惟武(あそこれたけ)
    ?~1377
    南北朝時代の武将。肥後国阿蘇神社大宮司。
    通称八郎次郎。惟澄の子。
    菊池武光から一字を賜る。
    父惟澄に従い、北朝方の兄惟村と対立。
    1364年、征西将軍宮懐良親王より遺領の
    相続が認められ、大宮司職を受け継いだ。
    1377年8月、菊池武朝らとともに、
    九州探題の肥前守仲秋と肥前国蜷打で合戦、
    戦死した。

  • 阿蘇惟澄(あそこれずみ)
    ?~1364
    南北朝時代の武将。肥後国阿蘇神社大宮司。
    筑後権守を経て、筑後守に任官。
    阿蘇氏は元来阿蘇国造の家柄にして宇治氏。
    このため宇治惟澄と称した。
    出自は諸説あり、父は惟景とも惟国とも。
    通称小次郎。惟時の婿養子となる。
    1333年、幕命で千早城攻撃に向かう途中、
    護良親王の令旨を受け、備後より帰国した。
    1336年、足利尊氏と多々良浜で戦う。
    菊池氏と共に一貫して九州南朝方の主力と
    なり、北朝方に与した惟時らと対立した。

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