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誉れ武門の名に恥じはなし!の掲示板

妹尾兼康(せおかねやす)
?~1183
平安時代末期の武将。平氏の家人。
通称太郎。
本領は備中国都宇郡妹尾村。
1180年12月、大和国検非所に任命され、
五百騎あまり率いて奈良に向かった。
しかし南都衆徒の抵抗に遭って郎党の
一部が斬首されてしまった。
これに激怒した平重衡により、
南都焼き討ちを行われた。
1183年4月、平維盛による源義仲追討の
軍勢に参加して北陸へ出陣。
翌月、俱利伽羅峠の戦いで大敗し、
義仲麾下の武将倉光成澄に捕まった。
従う姿勢を示した事で助けられ、
成澄の弟成氏の預かりとなった。
義仲が備中国へ進出した際には先導役を
務めたが成氏を誘導の末に裏切って殺害、
備中国内の平氏方を集めて反旗を翻す。
追討軍を率いる今井兼平の猛攻を受け、
福隆寺縄手の戦いで敗死した。