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日経平均株価【998407】の掲示板 2015/06/14

>>584

今や記紀史観は危機に瀕している。

天智天皇の近江朝は百済亡命貴族による亡命政権。
大化の改新に先立つ「乙巳の変」で「韓人、鞍作りを殺せり」と言ったのは亡命百済人がクーデターで政権を奪取したことを示唆しています。
しかも三韓の使節を招いた儀式の席を選んで実行したことに深い意味があります。すなわち、百済本国は亡んだが、今ここ日本で復活したのだということを半島諸国に見せつける意図があったわけです。
政権を奪取した天智は九州に水城を築いたりして唐・新羅侵攻に備えます。

やがて起きる「壬申の乱」、これは唐が、天智政権を倒して日本に唐の傀儡政権を作るために天武を使って起こした企てだった。
この少し前には2000人に及ぶ唐の軍勢が九州にやってきて滞留する。年単位で上に留まるわけはなく、事実はおそらく九州の一部を占領していたに違いない。そして、日本側の対応によっては援軍を得て、軍を畿内に進めるつもりであったと考えられる。この間には郭務宗なる得体の知れぬ唐人が日本国内で暗躍している。そして天智は京都・山科で狩猟中に行方不明となり、帰らぬ人となった。暗殺されたのだ。

壬申の乱に勝利した天武は徹底した唐化政策を取ります。この後、日本は完全に唐の属国化してゆきます。遣唐使の実態は朝貢使でした。何年かに一度、必ず朝貢使を送らねば、唐から離反を疑われ、攻められる怖れがあった。
九世紀後半になり、唐が衰退してくるとやっと朝貢を止める。

こういう風にみると、いろいろな書紀の不可解な記述を読み解くことができるのです。
当時の東アジアは強大化する唐の影に怯えていたことを頭に入れておかなければならないのです。