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♪株喫茶♪の掲示板

>>48092

元々かパンダ影響かシランケド、リアリスト?ゴモゴモとは意外と意見が合う模様?

二百三高地も自虐的外交も、日本人は自己犠牲に陶酔する傾向があるが、検証反省が不十分で繰り返し鴨られる傾向がある模様。

TPPの推進派の、曰くグローバル戦略、曰くアジアの成長を取り込む・・・乗せられてるっぽい雲掴むような話聞いてたら、

シナ事変当時の斎藤隆夫議員の反軍演説を彷彿とする。ので調べたら、同じ考えの人が居た模様・・・って中野さんかw

東亜新秩序だの共存共栄だの雲掴むような理想言っても、泥沼化して民力疲弊を見て見ぬふりしとるやないか?地に足付けて現実見て自国を大事にせよと。戦前の政治家の見識、隔世の感アリ・・・トホホ。

反TPP演説−中野剛志先生

:反軍演説を読み変えて:斎藤隆夫

『我々が国家競争に向かうにあたりまして徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。

自国の力を養成し、自国の力を強化する。これより他に国家の向うべき途はないのであります。

この現実を無視して、ただいたずらに開国の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、

日く自由貿易、日く経済連携、日く農業再生、日くアジアの成長。

かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、

国家百年の大計を誤るようなことがありますならば

現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。』

以下は本物のいわゆる反軍演説の引用の引用(反軍って語弊有るけど)

つまり力の伴わざるところの正義は弾丸なき大砲と同じことである。(拍手)羊の正義論は狼の前には三文の値打もない。ヨーロッパの現状は幾多の実例を我々の前に示しているのであります。

かくのごとき事態でありますから、国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直の競争でもない。徹頭徹尾力の競争である。(拍手)世にそうでないと言う者があるならばそれは偽りであります、偽善であります。我々は偽善を排斥する。あくまで偽善を排斥してもって国家競争の真髄を掴まねばならぬ。国家競争の真髄は何であるか。日く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即ち強者の生存であります。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。(拍手)

この歴史上の事実を基礎として、


我々が国家競争に向うに当りまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ

自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向うべき途はないのであります。

(拍手)

かの欧米のキリスト教国、これをご覧なさい。彼らは……。

(「もう宜い」「要点要点」と叫び、その他発言する者多し)

議長(小山松寿君) 静粛に願います。

斎藤隆夫君(続)彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。

この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、

日く国際正義、日く道義外交、日く共存共栄、日く世界の平和、

かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、

国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば


(小田栄君「要点を言え、要点を」と叫び、その他発言する者多し)


斎藤隆夫君(続)

現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。


私はこの考えをもって近衛声明を静かに検討しているのであります。即ちこれを過去数千年の歴史に照し、またこれを国家競争の現実に照して


(発言する者多し)

議長(小山松寿君)静粛に願います。


斎藤隆夫君(続)かの近衛声明なるものが、果して事変を処理するについて最善を尽したるものであるかないか。振古未曽有の犠牲を払いたるこの事変を処理するに適当なるものであるかないか。東亜における日本帝国の大基礎を確立し、日支両国の間の禍根を一掃し、もって将来の安全を保持するについて適当なるものであるかないか。これを疑う者は決して私一人ではない。(拍手)

いやしくも国家の将来を憂うる者は、必ずや私と感を同じくしているであろうと思う。それ故に近衛声明をもって確乎不動の方針なりと声明し、これをもって事変処理に向わんとする現在の政府は、私が以上述べたる論旨に対し逐一説明を加えて、もって国民の疑惑を一掃する責任があるのであります。(拍手)

  • >>48103

    アメリカの圧力は構造協議、年次改革要望、プラザ合意とか色々あったが、
    いずれも日本側は言いなり。木材輸入自由化で山村疲弊、大規模店舗法廃止で商店街はシャッター通り、続いてTPPで水田は荒れ野原になったら、そういう風景を見て育った人間の心や発想力まで荒廃するべにゃ。祖国破壊工作に手を貸してるの鴨。

    <小さすぎる林業の生産減少>

     2010年10月1日、菅直人総理は所信表明演説で、唐突に「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉への参加を検討」と表明した。
     TPPとは、人口に膾炙しているFTA/EPAとは異なり、10年後には例外なくすべての物品の関税をゼロにするというものである。日本も2国間のFTA/EPAは既に13か国と結んでいるが、いずれも米等の例外が設けられている。(中略)林業は既にとっくの昔から関税ゼロの影響を受けており、それ以上打撃を受けないところまでズタズタにされているだけのことなのだ。

    <関税自主権を放棄する愚行>

     1951年、占領下で日本が関税自主権も失っている中で、丸太の関税がゼロにされた。サンフランシスコ講和条約が成立する直前の関税撤廃であり、北西部(ノースウエスト)から日本に木材を輸出せんとするアメリカの企てを感じざるを得ない。
     今は関税ゼロにするのが善で高い関税が悪のように言われているが、関税自主権こそ独立国家の証しである。明治政府が、江戸末期に押しつけられた関税自主権もない不平等条約を、必死で是正せんと外交を繰り広げたことを忘れているのである。更に、1964年、外貨割当制度がなくなり、製材の関税もゼロとなり、木材の完全自由化が完成し、今や合板の関税が5%残るだけとなっている。

    <国の形を歪め、森を壊した丸太・製材関税ゼロ>

     この間の林業の疲弊、中山間地の崩壊にはすさまじいものがある。1970年から2000年までの30年の間に14万集落のうち5%の7,543集落が消え、限界集落が急増した。2010年の国政調査では、更に、3000集落が消えている。同じ間に、木材の自給率は95%から18%に下落した。
     木材の価格は最盛期の4分の1に下がっている。米価も最高値の2万4000円(60kg)から半分の1万円そこそこに下落したと問題にされるが、その倍の下落なのだ。同じ期期に高校や大学の新卒者の初任給が18〜24倍になっているのと比べると、いかに採算が合わなくなっているか一目瞭然であろう。その結果、伐採しても赤字になるだけとなり、間伐等の手入れをしても採算が合わなくなってしまった。これでは山が荒れ、中山間地域に人が住めなくなるのは必定である。(中略)
    <木造建築を抑えた愚かな政策>

     そこに更に追い討ちをかけたのが、政府の間違った判断であり、誘導だった。(中略)需要を押えるために木造建築を押えるというお達しは、明らかに行き過ぎである。
     同じ頃、米も自給できず、アメリカからMSA小麦という安い余剰小麦の輸入を迫られていたことから、池田勇人大蔵大臣は「貧乏人は麦を喰え」とのたまわった。米は生産者米価を高くし消費者米価を低く抑え、政府は逆ざやが発生していたのに対し、小麦は安い小麦を輸入し高く売って順ざやが発生したのである。今と同じく財政規律を重視した大蔵大臣は、学校給食にも輸入小麦を使ったパン食を導入するという世界でも稀に見る愚策に走り、日本の農業や日本人の食生活を歪める元凶となった。

    <パン食とコンクリート校舎>

     今考えると、外国産木材、外国産小麦に頼り、国産材や国内農産物をないがしろにする区分けは、それこそ愚かな政策決定であった。しかし、素直な国民は、政府のお達しに従い、パンなどほとんど食べたことのない地域でもパン給食が始まり、田舎の校舎までコンクリートで造ることになった。
     一方で高度経済成長期を過ぎると、安い輸入木材に押されて国産材はさっぱり売れなくなった。こうして、多くの山林は、手入れの値打ちもなくなり、放置されることになった。その結果が、前述の限界集落化、山村の消失である。そうした中、小麦も大豆も輸入に任されてしまったが、一方、米だけは別格で生産奨励され優遇された。そして、皮肉なことに1970年代後半からは米余りとなり減反、転作を強いることになった。そして遅ればせながら、1990年代になってやっと米飯給食の声が上がり始めた。
     米は778%の高関税で守られ、いつも批判の対象となるが、この高関税故に農村が山村と同じにならなかったのである。(中略)
     米の関税をゼロにして、農村までもズタズタにせんとする愚かな政策が急に走り出した。例のTPPである。これがいかに愚かな政策かは、林業の衰退、山村の荒廃をみれば明らかである。私は二度とこんな政策ミスは犯してはならないと肝に銘じている。