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PLUG POWER 投資判断の部屋の掲示板

日興証券(現・SMBC日興証券)を脱サラした櫻田慧(1937年1月19日 - 1997年5月24日、60歳没。岩手県大船渡市出身。東京都立大森高等学校、日本大学経済学部を経て商学部卒)と吉野祥が、1972年3月12日、東京都板橋区の東武東上線成増駅南口に1号店をオープンさせる(当初は丸井成増店等が入居し、後にダイエー成増店として建て替えられたショッピングセンター『成増名店街』地下で実験店を営業)。店舗は同駅近隣から増えていった経緯があり、東上線沿線に老舗店が多い。この際、アメリカのハンバーガーショップ「トミーズ(Tommy's)」を経営の参考とした。

マクドナルドとの差別化を考えていたモスバーガーは、高価格、高品質という高級路線を今日まで歩んできた。高いコストをかけてでも商品の味の向上を徹底させるという経営戦略は、「日本人は味覚にうるさいので、食べ物はうまくなければいけない」という創業者たちの理念に基づいている。創業当時は資金不足のために他のファストフード店より宣伝力が弱く、一等地への進出も難しかったため、顧客に口コミで評判を広めてもらうことでしか事業拡大が見込めなかったことも高級化を行った理由の一つである[3]。

商品開発の際、櫻田前社長は試作品の新開発メニューを必ず満腹の状態で試食するというポリシーがあった。「満腹の状態で食べても美味しいと感じられる商品こそが本当に美味しい食べ物である」というこだわりからであったという。

1990年代初期まではマクドナルドに似た赤地に黄色いMのロゴマークを使用していたが、白いMマークに改めている。

赤モスから緑モスへ
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鳥インフルエンザの発生や外国産野菜の残留農薬の問題等が頻発して「安いだけではダメ、安心して食べられる安全で安いものがいい」という消費者の意識が高まった2004年、モスでは1996年ごろから減農薬や有機栽培の野菜を使い始めていた[広報 3]が、そのことをより広く知らせアピールするために従来赤色であった看板を「安心、安全、環境」を象徴するとして緑色へ転換し始め、従来の店舗を看板の色より赤モス、新型の店舗を緑モスとした。

同時に「ただのファストフード」からの脱却とファストカジュアルへの業態転換を目的に、一般的なファストフード店の内装からレストランに近いイメージの木目調を基調としたゆったりした内装への改装も進め、高級ハンバーガー「匠味」を始めとする緑モス限定の高級感のあるメニューの提供を始めるが、これらは「モスは高い」とのイメージを与えることになった。

緑モスの見直し
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当初計画では2008年度中に緑モス化を完了する予定であったが、原料価格高騰もあり不可能となった、さらに、ファストフードの領域を逸脱したメニューの提供による店舗側の混乱や、一部店舗の禁煙化により客足が遠のいた店もあり、緑モスへの改装費用負担も相まって本社の方針に反発するフランチャイズオーナーもいた。

業績が低下したこともあり、櫻田社長は「緑モスの路線は間違っていない」としながらも、今後は「ルールを見直しながら緑モスへの転換を進める」としている[4]。この軌道修正を受け、赤モス・緑モスという呼称は公式には使用されなくなり、緑モス限定メニュー「モスのごはん」は「一部店舗限定」と公式サイトでは表記されるようになった。また、緑モスの代表格メニューであった匠味も、2008年に販売を終了した。

現在では看板の色でのメニューの違いは無いが、新規出店や改装により順次緑モスの店舗に転換されている。一方でCMやCIマーク、海外出店(台湾、シンガポールなど)では赤モスのロゴも使用されている。この他、従来の「モスバーガー」とは異なる業態の展開や海外事業も進めている。

2018年3月には2020年3月までに国内全店舗を全席禁煙化することを発表[5]。この年、後述の食中毒事件の影響により11年ぶりの最終赤字へ転落した[6]。

海外展開
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2018年現在、モスバーガーはアジアを中心に8カ国・地域に展開している。もっとも早い海外進出は1989年のハワイ店であったが、その後撤退、現在では台湾・タイ・香港・中国・シンガポール・オーストラリア・インドネシア・大韓民国に展開している[広報 4]。

中でも台湾での拡大はめざましく、2012年現在で首都である台北や、中国に近くマクドナルドさえ展開していない金門島を含め246店舗を展開[広報 5]、マクドナルド370店舗[7]には劣るものの、ケンタッキー128店舗[広報 6]には大きく差をつけ健闘している。