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株と小説創作の掲示板

常神半島奇譚

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 魚史郎が令和から享保の時代へやって来て二十五年の歳月が流れた。三十六歳だった魚史郎も還暦を過ぎて六十一歳になっていた。初めのころは毎年、皐月(さつき、令和では六月)の満月の夜になると、あの、不思議な食べ物のことや、その後の、自分の身に起きた突然の変化のことを思い出していたが、鯖の運び屋としての暮らしに慣れてくると、もう、とっくに、元の暮らしに戻りたいとは思わなくなっていた。
 鯖の運び屋は十二年間、四十八歳になるまで続いたが、その後ははなの店を手伝うなどして暮らした。
 すでに時代は享保から元文、寛保、延享へと進み、今は延享三年であった。魚史郎は数年前から労咳を病み、暖かい部屋で滋養のあるものを食べて養生していたが、徐々に体力は衰え、食欲もなくやせ細って、今は死が目前に迫っていた。
 魚史郎は令和の時代から、この三百年前の江戸中期に転生した数奇な運命をしみじみと思い返していた。まもなくここで死を迎えるのだが、彼にとっては、この、江戸中期での生活が本来の居場所であり、何かの手違いであの昭和、平成、令和という時代に、生まれてしまったのかと今は思うのであった。ここで今は、死に対する恐怖は全く無く、次はどういう世界に生まれるのだろうか、というのが、最大の関心事であり、楽しみでもあった。

 死を前にした魚史郎に付き添っていたのは妻のせつと子供たちであった。
 せつの三人の娘のうち長女のたみは、鯖の運び屋の文次と所帯を持ち、近所に住んでいた。そして次女のはなは、夫順平と共に小間物店を切り盛りし、店はよく繁盛していた。
 末っ子のうめは漁師の男と所帯を持ち、弥助の後を継ぐような形で貝村の元の家に住んでいた。
 三人の娘はそれぞれ二~三人の子を成し、幸せな家庭を築いていた。魚史郎と血の繋がりは無いが、実の娘と同じで、思い残すことのない幸せな気持ちで静かに眠りについた。

       了