ここから本文です
投稿一覧に戻る

誉れ武門の名に恥じはなし!の掲示板

天野遠景(あまのとおかげ)
生没年不詳
鎌倉初期の武将。父は景光。
伊豆・遠江国の豪族工藤氏の一族。
本領は伊豆国田方郡天野郷。
内舎人に任官していたので、通称は天野藤内。
天野郷が源頼朝の配流先である蛙ヶ小島に
近かったので度々交流し、信頼を得た。
頼朝の旗揚げの際は、いち早く参加している。
伊豆国目代山本判官兼隆邸を襲撃し、その後
石山合戦にも参加している。
1184年6月、源範頼に従って平氏追討のため
西海し、戦功を挙げる。
1185年3月以降、鎮西奉行として九州へ。
平氏残党・義経に与す勢力の鎮圧目的と、
軍事・政務の統轄を担う重要な役柄であった。
1192年、同職を解任。兵衛尉・民部丞に任官。
鎌倉帰還後、出家。法名を蓮景と称す。
1203年9月、北条時政の命を受けて二代将軍
頼家の舅である比企能員の討伐に加担した。