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天国へいらっしゃいの掲示板

以下↓を思い出した^^

吉本隆明は、著書『共同幻想論』(1968年)で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。

(1)自己幻想
個人と個人の関係。
芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。

(2)対幻想
個人と他者とのプライベートな関係。
家族・友人・恋人がこれに当たる。

(3)共同幻想
個人と他者との公的な関係。
国家・法律・企業・経済・株式・組合がこれに当たる。
また、宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。

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個人の好き嫌いなんだが・・・
昔、、、隆明は全共闘の学生からは教祖的扱いをされていたんだが・・・
当時、拙老は彼を胡散臭オトコと感じていた^^

後に小熊英二(『〈民主〉と〈愛国〉』や『1968』の著者)も・・・
彼に対してそのような分析をしていた^^

ー風に吹かれてー

血の繋がりは事実!それ以上でもそれ以下でもない^^

  • >>325


    > 後に小熊英二(『〈民主〉と〈愛国〉』や『1968』の著者)も・・・
    > 彼に対してそのような分析をしていた^^


    以下↓はどっかからのコピペ^^

    ここで小熊は、吉本と三島の間の奇妙な共通点について言及する。それは二人とも兵役逃れの経験をもっていたことだ。三島の場合には、「仮面の告白」によれば、仮病によって肺結核の診断をうけとり兵役を逃れ、吉本の場合には、当時兵役を免除されていた理科系大学に進学することで、兵役を逃れた。

    吉本について言えば、彼は戦争を自明のこととして前提にしながら、自分自身は戦争の大義のために命を捨てる覚悟をもった「皇国少年」だったというふうな言説を垂れ流し続け、その言説を鵜呑みにするものも多かったわけだが、実際を言えば、彼は兵役忌避者として戦争から逃げていたのである。実際には戦争を忌避しながら口先では戦争を美化し、自分の命を捧げるなどということは、欺瞞的なやり方だと言わざるを得ない。そういう批判的な見方を小熊は吉本に対してとっているようである。

    吉本のねじれた言説は、兵役逃れという彼自身の個人的な体験に根差すところが大きかった。そのように小熊は結論付けているようだ。

    /////////////


    ー風に吹かれてー

  • >>325

    >宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、
    >教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。

    拙老は以下↓のように考えている^^
    “宗教とは方便を真実にまで高め昇華し信じ切ること”

    ー風に吹かれてー