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ノートの掲示板

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気候変動への認識の変化が自動車産業界を大きく変え、電気自動車の開発にトップ企業がしのぎを削るようになった。火付け役にして先頭ランナーはもちろん、イーロン・マスクが率いるテスラモーターズだ。2人の起業家が「テスラモーターズ」を立ち上げ、イーロン・マスクが出資したのが2003年。株式時価総額が世界7位になった今からは信じられないことだが、創業当初、テスラの事業計画は周囲から一笑に付されていた。しかし創業者には気候変動を何とか止めたいという強い信念があった。どんな思いと先見性が世界市場を開拓したのだろうか。創業前から最初の試作車「ロードスター」完成までの「100%の電気自動車」誕生史を、「読者が選ぶビジネス書グランプリ」2016年グランプリを受賞した『イーロン・マスク 未来を創る男』第7章「100%の電気自動車」から4回にわたってご紹介しよう。
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中古ポルシェを電気自動車に作り替えた男

 J・B・ストラウベルという男がいる。頰には5センチほどの傷跡がある。高校時代に化学実験で負った怪我が原因だった。13歳のとき、ゴミ捨て場で古いゴルフカートを見つけた。家に持ち帰って修理し、電気モーターを分解修理したところ、再び動くようになった。何でも分解して組み立て直すのは、一種の趣味のようなものだった。

 スタンフォード大学に進学し、物理学者を目指した。だが、物理学は自分に向いていないことに気づく。上級コースは理論に偏り過ぎており、手を動かすのが好きなストラウベルは興味を持てなかったのだ。そこで彼はエネルギーシステム工学という分野を自ら作り上げてしまった。90年代も終わろうとしているころのことである。

 「ソフトと電気を生かして、エネルギーを制御したかった。コンピューティングとパワーエレクトロニクス(大電力エネルギーの高度な制御技術)の融合を目指しました。要するに自分の好きなことを組み合わせたんです」とストラウベルは語る。

 当時はまだ地球環境問題の解決策となるクリーンテクノロジーの動きは見られなかったものの、太陽光エネルギーや電気自動車に実験的に手を出す企業はあった。ストラウベルは、そんなベンチャーを見つけては、交流を持つようになった。やがて自宅のガレージでも友人を集めて同じような実験に着手するようになった。

 「ゴミ同然のポルシェ」を20万円ほどで手に入れ、電気自動車に作り替えた。つまり、電気モーターを制御するコントローラーを自作し、充電器も一から開発し、クルマ全体の動作を担うソフトも自ら書き上げたのである。このとき、4分の1マイル(約402メートル、日本風に言えばゼロヨン)を17・28秒で走り、電気自動車の世界記録を打ち立てている。

リチウムイオン電池なら1万メートル走れる
 2002年ごろ、ストラウベルはロサンゼルスに移り住み、スタンフォード大学の修士課程を修め、ローゼン・モーターズという会社で働くことに決めた。ここは世界初のハイブリッドカーの開発元だった。だが、会社は倒産。ストラウベルは、創業者ハロルド・ローゼンについていくことにした。ローゼンは「静止衛星の父」と呼ばれる高名なエンジニアだった。

 「電気飛行機を造りたかった。操縦ライセンスを持っているし、空を飛ぶのが大好きなので、うってつけの仕事だと考えました」とストラウベルは語る。その傍ら、夜や週末はベンチャー企業向けのエレクトロニクスコンサルタントとしても活躍した。

 ある日、ストラウベルは大学時代の仲間と話しているうちに、ある疑問が浮かんだ。クルマに積んだリチウムイオン電池を太陽光で充電する方法はすでに経験済みだが、ノートPCなどに使われている、いわゆる「18650リチウムイオン電池」を使ったらどうなるか興味がわいたのだ。18650は、単三電池と同じ形状のセル(電池の最小構成単位)をひとまとめにしたようなもの。「これを1万本連結したらどうなるだろうと思ったんです。単純計算だと電気自動車で1万メートル走行可能なんです。興味津々でした」

 さっそくストラウベルは、ソーラーカー関係者にもちかけて、リチウムイオン電池搭載の電気自動車開発を打診してみた。彼のアイデアは、空力性能を極限まで追求したスタイリングで、全体の8割がバッテリーという、電気ナマズにタイヤをつけたようなクルマだ。

 将来的にこれがどこへ向かうのか、誰にもわからない。いや、当のストラウベルにも確信が持てなかった。実際、自動車メーカーを立ち上げるといったことよりも、リチウムイオン電池のパワーに目を向けてもらうための実験的な性格が強かった。

 プロジェクトを進めるには資金が必要だ。ストラウベルは、見本市などに顔を出しては、めぼしい企業に企画書を配り歩いた。だが、誰1人として見向きもしない。そんな日々が続いていたが、2003年秋にイーロン・マスクと巡り合った。

「イーロンは一発で気に入ってくれた」
 お膳立てをしたのは、ハロルド・ローゼンだった。スペースX本社に近いシーフードレストランでマスクとランチをともにしながら、まずは電気飛行機のアイデアを持ち出してみた。だが、マスクは食いつかない。そこで、ついでのプロジェクトだった電気自動車のアイデアも披露してみた。すると、マスクは乗り出すように話を聞き始めたのだった。

 マスク自身、電気自動車についてはずっと考えていた。マスクの構想は電源にウルトラキャパシターを使うものだったが、リチウムイオン電池の進化の凄まじさを耳にして、大いに興奮していた。

 「みんな僕のことを頭がおかしいと思っていたけど、イーロンは一発で気に入ってくれた。『もちろんだ、金を出そう』と言ってくれたんです」とストラウベル。マスクは1万ドルの出資を約束した。目指す予算総額は10万ドルだ。このときに芽生えた絆が、紆余曲折を経ながらも10年以上にわたって続き、世界を変えることになろうとは──。

 マスクから、電気自動車の研究開発を手がけるACプロパルジョンという企業を紹介された。1992年創業で、電気自動車の最前線を走っていた会社だ。ACプロパルジョンには、「tzero」という最高級スポーツカーがあった。tzeroは、1997年のデビュー時点で時速0─60マイル加速(時速60マイル=時速約96キロまで加速するのにかかる時間)4・9秒を叩き出した、モンスター級の電気自動車だった。ただし、量産車ではなく、愛好者向けのキットという扱いだった。

 ストラウベルは、同社社長のトム・ゲージに「マスクと一緒にtzeroに試乗したい」と依頼した。予想どおり、マスクはこの車に一目惚れだった。それまでの電気自動車といえば、スピードが遅くておもしろみもないというイメージだったが、これは違った。すっかり惚れ込んだマスクは、キットではなく、量産してはどうかと資金提供を持ちかけたが、なかなか色よい返事はもらえなかった。

 「あくまでもコンセプトモデルであって、量産するにはもっと細部を作り込む必要がありました。ACプロパルジョンには素晴らしい人たちがそろっていましたが、商売としては見込み薄だったためにマスクのこの提案を断ったのです。その代わり、性能も見た目もイマイチなeボックスというクルマをイーロンに売り込んでいましたけどね」(ストラウベル)この日の会談は見るべき成果がなかったが、マスクの関心がますます高まったのは確かだった。