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新 株式投資掲示板の掲示板

>>22132

>仕手と言えば加藤さんが有名でしたね。
>大物政治家ともパイプがあり、誠備グループとして派手に活動していた時に脱税容疑で逮捕されましたが、検察の狙いは、誠備グループの仕手株投資に加わっている政治家の名前をゲロさせることだったそうです。

 そんな凄い相場師が居たのですか。

<ウィキペディアより>
>1973年、黒川木徳証券の歩合外交員として兜町に復帰。ここで説得力のある弁舌と、明晰な頭脳、また人間的魅力で顧客を獲得していった。特に総会屋を通じて、大企業の経営者、政治家に近づいたと言われる。
 1976年から1977年にかけてのヂーゼル機器株および岡本理研ゴムの仕手戦で、笹川良一の信頼を得てから、さらに力を付けたものらしい。このヂーゼル機器株の場合は、平和相互銀行系の資金のほかに自ら個人客も結集して株を買い集め、その名義を隠すために1976年10月、誠備投資顧問室の前身「日本橋信用」を発足させたとされる。玉置和郎と昵懇になりグループを結成したという説もある。
 1977年、「誠備」の前身ともいうべき、「ダイヤル・インベストメント・クラブ」を結成、銀座スポニチビルに事務所を開く。加藤はこれ以前、笹川グループや平和相銀グループなどの仕手株を扱う兜町の窓口的存在に過ぎなかったが、この事務所を開いて後、独立した仕手筋として兜町でのし上がっていく。
 1977年暮れ「ダイヤル・インベストメント・クラブ」を解散させ「誠備」として発足、あるいは1978年11月「誠備」として発足、1979年6月「誠備グループ」として名称変更。本拠は日本橋茅場町に置いた「誠備投資顧問室」であった。

新 株式投資掲示板 >仕手と言えば加藤さんが有名でしたね。 >大物政治家ともパイプがあり、誠備グループとして派手に活動していた時に脱税容疑で逮捕されましたが、検察の狙いは、誠備グループの仕手株投資に加わっている政治家の名前をゲロさせることだったそうです。   そんな凄い相場師が居たのですか。  <ウィキペディアより> >1973年、黒川木徳証券の歩合外交員として兜町に復帰。ここで説得力のある弁舌と、明晰な頭脳、また人間的魅力で顧客を獲得していった。特に総会屋を通じて、大企業の経営者、政治家に近づいたと言われる。  1976年から1977年にかけてのヂーゼル機器株および岡本理研ゴムの仕手戦で、笹川良一の信頼を得てから、さらに力を付けたものらしい。このヂーゼル機器株の場合は、平和相互銀行系の資金のほかに自ら個人客も結集して株を買い集め、その名義を隠すために1976年10月、誠備投資顧問室の前身「日本橋信用」を発足させたとされる。玉置和郎と昵懇になりグループを結成したという説もある。  1977年、「誠備」の前身ともいうべき、「ダイヤル・インベストメント・クラブ」を結成、銀座スポニチビルに事務所を開く。加藤はこれ以前、笹川グループや平和相銀グループなどの仕手株を扱う兜町の窓口的存在に過ぎなかったが、この事務所を開いて後、独立した仕手筋として兜町でのし上がっていく。  1977年暮れ「ダイヤル・インベストメント・クラブ」を解散させ「誠備」として発足、あるいは1978年11月「誠備」として発足、1979年6月「誠備グループ」として名称変更。本拠は日本橋茅場町に置いた「誠備投資顧問室」であった。