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春の独り言
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春の独り言の掲示板

甘口辛口

 ■7月11日 あのころの男の子は勉強に励んで末は博士か大臣か、さもなくばスポーツに打ち込んで末はプロ野球か五輪選手か。夢はざっくりと二つに分かれ、「アイドル」などという選択肢は考えもつかなかった。初めて東京で五輪が開かれた1964年頃のことだ。男の子が足をあげて踊ったり、歌ったりするのは恥ずかしい時代だった。

 その年に生まれたのが初代ジャニーズ。あおい輝彦ら、いまは当たり前のイケメン4人の出現はインパクトがあった。生みの親で男性アイドルというジャンルを確立し、戦後の芸能界の発展に貢献したジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長がくも膜下出血のため亡くなった。87歳だった。

 「裏方」に徹し写真も公表しなかった。亡くなって初めてお顔を拝見したが、社長然としたところなど全くない普通のおじさん。トレードマークという野球帽にジャンパー姿で街を歩いても、誰も気づかなかったろう。オーディションに清掃員の格好でまぎれ込み、社長とわかって態度を変えた子は不合格だった。

 常に時代を先取りした。貴乃花元親方が貴花田としてアイドル的な人気者になると「相撲でアイドルが出る時代。これからのアイドルはスポーツとの融合」と着目。SMAPのグループ名は「Sports Music Assemble People」の頭文字をとって自ら命名したという。

 人気グループのバックで踊っていた新人たちを数年ごとにデビューさせる。その原石を見抜く力と、プロ野球やJリーグに匹敵するような育成システムを一人で確立させた発想と情熱。どんな珠玉の芸も、その人の死とともに消滅する。ジャニー氏の慧眼もまた…。残念でならない。 (今村忠)