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作詞者:大伴家持(718年 - 785年、著作権消滅)
作曲者:信時潔(1887年 - 1965年、著作権保護期間満了)
海行かば 水漬みづく屍かばね
山行かば 草くさ生むす屍
大君おほきみの 辺へにこそ死なめ
かへりみはせじ
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
長閑のどには死なじ
この歌、実は涌谷町に大変深い関わりを持つ歌でもあるのです。
天平21年(749年)陸奥国小田郡(涌谷町)から日本始出の黄金が、東大寺大仏鍍金のため、聖武天皇に献上されたことは史上に特筆される出来事で、天皇は黄金産出の報告に驚き喜び、産金を告げる宣命を出しました。
越中国守として任国高岡にいた家持は、その宣命に大伴氏言立(家訓)が引用され、天皇が大伴氏の忠誠功績を讃えたことに感激し「陸奥国より金を出せる詔書」を賀ぐ長歌と反歌を詠みました。
反歌「須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知乃久夜麻尓 金花佐久(すめろきの みよさかえんと あづまなる みちのくやまに くがねはなさく)」はよく知られています。
長歌は五百三十二文字の長文で、その一節に「…海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大皇乃敞尓許曽死米 可敞里見波勢自等許等大弖(うみゆかば みずくかばね やまゆかば くさむすかばね おおきみのへにこそしなめ かへりみはせじとことだて)…」(万葉集巻十八―四〇九四)と詠み天皇への忠誠を誓いました。
大伴氏は新興藤原氏の勢力に押されて凋落の一途の時で、家持は氏の長として一族の団結と奮起を促す気持を込めてこの歌を詠んだとされ、この一節が昭和前期、軍歌として放送され広く一般に歌われたのです。
古代涌谷の産金を祝って万葉集編者大伴家持の詠んだ古歌が、昭和期に一世を風靡した国民歌謡「海ゆかば」の本歌であるという歴史を、郷土の文化財産として記憶に留め、語り継いで行きたいものです。
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