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日経平均株価【998407】の掲示板 2023/01/30

>>1102

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欧米によるアジアでの「飽くなき搾取」
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大東亜宣言にある、欧米によるアジアでの「飽くなき侵略と搾取」「アジアの人々の隷属化」は、世界の多くの人々からはもう忘れ去られているが、筆舌に尽くしがたいものがあった。

イギリスは、インドの綿織物を本国に輸入して利益を得ていたが、産業革命でイギリスの綿製品生産が盛んになると、今度はイギリス製品をインドに輸出し始めた。
それは、インド製には関税をかけ、イギリス製には免税するという強制的なもの。
インド人の職人の手を切断するという凄惨なことまでやって、インドの紡績業を壊滅に追いやった。

イギリスは、清国から紅茶と陶磁器を輸入していたが、清国側はイギリスから買う物品がほとんどなかったという。
これではイギリスが常に貿易赤字になってしまうので、インドにケシ栽培を強制し、麻薬の一種のアヘンを清国に売りつけることにした。
清国中に麻薬中毒者が広がる一方、アヘン取り締まりも始まり、イギリスと利害が衝突。
1840年のアヘン戦争へと発展した。

オランダは、インドネシアでコーヒーや砂糖など欧州向けの作物の栽培を強制したため、インドネシア人が食べるための水田や畑が減少。
ジャワ島では人口が3分の1になる町も出るほどだった。
先住民を支配しやいよう、教育を行わず、文もうのまま放置。
そのため識字率は数%にとどまった。
300以上の各種族の言語をそのまま使わせ、インドネシアとしての統一意識を持てないようにした。

独立王国のハワイ・カメハメハ王朝を武力で滅ぼしたアメリカは同じ年の1898年、スペインとの戦争(米西戦争)を始めた。
その際、フィリピン人の独立革命家たちにフィリピン独立をいったん約束し、米軍への協力を取り付けた。
ところが、米軍と革命軍がスペイン軍を打ち倒すと、約束を覆し、フィリピンを併合してしまった。
その後の革命軍による抵抗戦争(米比戦争)は1913年まで続き、フィリピンの民間人60万人以上が虐殺されたという。
大東亜戦争は、まさにこうした「アジア諸国をアメリカやイギリスの束縛から解放」するための戦いだった。

  • >>1104

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    「善政」だった朝鮮・台湾統治
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    一方、「日本も朝鮮半島や台湾を支配し、搾取したではないか」という見方がある。
    しかし実態はその逆で、朝鮮と台湾では、日本から多額の政府資金を持ち出され、衛生や教育、産業のインフラに投資され、急速に「近代化」が図られた。

    朝鮮総督府の歳入の10~20%は日本政府からの補助金。
    これでは「搾取」のしようがない。
    その資金で、まずは病院を建てるなどして劣悪な衛生環境を改善。
    伝染病を根絶し、乳児死亡率を大幅に低下させた。
    教育制度も全域に普及させ、李氏朝鮮の1400年代に創られていたハングルを復活。
    「朝鮮の二宮金次郎の大量輩出」の目標を掲げた。

    1910年の併合時に公立小学校に通う生徒は約2万人だったのが、1937年には約900万人にもなった。
    加えて、京城帝大を大阪・名古屋帝大に先駆けて設立するなど高等教育も重視した。
    コメの生産量を倍増させるなど食糧事情も改善し、朝鮮の人口は併合前の980万人から2400万人へと倍増。
    1910年の併合時は「日本の源平時代のようだ」と言われた貧困状態を30数年で克服した。

    台湾でも同じように医療・衛生、教育、産業のインフラが整備された。
    初等教育の就学率は1944年には71%になり、アジアでは日本の内地に次ぐ高い水準となった。
    まともな教育を与えなかった欧米の植民地とは正反対だ。
    日本による統治が始まった1895年と終戦前の1943年を比べると、台湾の平均寿命は約30歳から約60歳へと伸び、人口も約260万人から約660万人に急増した。

    「飽くなき侵略と搾取」「アジアの人々の隷属化」によって、虐殺されたり、産業や生活が破壊されたりした欧米支配の植民地とは、まったく正反対の「善政」だったことが分かる。

    そもそも当時の日本は、イギリスがウェールズ、スコットランド、アイルランドで構成されるのと同様、朝鮮、台湾とでつくった「合邦国家」だった。
    当時こうした国家は珍しくなく、第一次大戦後に崩壊したオーストリア・ハンガリー帝国や、1992年まであったチェコスロバキアもそうだった。
    合邦ならば、「植民地支配をして、搾取した」という議論自体、的外れだ。