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日経平均株価【998407】の掲示板 〜2014/12/15

  • >>6455924

    たぶん、朝日新聞の記者の頭脳には

    正しい話題を

    捏造変換する機能があるようだ。

  • >>6455924

    成りすまし、背乗りは戦前からあった…
     稀代の詐話師
        その素性を暴く!!

     吉田清治が済州島に乗り込んで「慰安婦狩り」を行なったという記述が、デビュー作では「昭和19年4月」なのに対し、2作目では「昭和18年5月」と異なる。単純な設定ミスがあったのだ
     そして、小説内で披瀝される経歴も嘘と虚飾に満ちていた。
    【吉田が元軍人というデマ】
    吉田清治はデビュー作で「本籍地は山口県」と記しているが、実際は福岡県芦屋町西浜。そして上京して都内の大学に通ったという。朝日新聞は吉田の学歴を法政大卒と報道したが、明らかな詐称だった。
    また秦郁彦氏に対しては法政大中退と説明していたが、同大学には在籍記録が存在しない。この学歴詐称だけでも吉田清治が生粋のペテン師であることが判る。職歴に至ってはなおさらだ。

    吉田清治について「元日本軍人」と解説されるケースが多く見られた。ウィキペディアでも誤った説明が訂正されず、残っている。吉田雄兎が所属していた労務報国会は、軍とは一切関係のない団体である。

    史実どころか自分史をも嘘で塗り固めた吉田清治。その人生で最も不可解なかたちで登場するのが、吉田の息子だ。

    【突然現れた4歳下の“息子”】

    金永達(キム・ヨンダル)という息子が吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』で紹介されている。もちろん日本人ではなく、朝鮮人。そして、この名前もまた仮名だ。

    実名は、李貞郁(リ・ジョンウク)。秦氏への説明によると、吉田は昭和12年4月に、この李貞郁を養子に迎え入れたという。不自然で唐突すぎる縁組みだ。

    この時、大正2年生まれの吉田雄兎は24歳。設定では大学卒業直後の独身者だ。一方の李貞郁は、大正6年生まれの20歳だった。4歳年下の朝鮮人をいきなり養子として入籍させたとうのである。

    奇妙なストーリーだ。朝鮮人を養子に迎えるには、相応の背景なり理由があるはずだが、吉田は何も語っていない。24歳の独身男が朝鮮青年を養子にするという異常事態に親兄弟ら縁者は反対しなかったのか?

    養子縁組までの事情を深く探れば、吉田清治の正体が見えてくるかも知れない。

    【1人目の吉田雄兎は死んでいた】

    吉田清治とは何者なのか…プロフィールを調査していた秦郁彦氏は、学歴を辿る過程で、衝撃的な事実に出くわす。吉田雄兎は、戦前に死亡していたのだ。

    昭和初頭、吉田雄兎は地元福岡の門司市立商業高等学校に入学した。同校は大正7年創立の伝統校で、現在は福岡県立門司大翔館高校へ名称を変更している。

    その門司市立商高の昭和6年度卒業生名簿には、吉田雄兎「死亡」と記されていたのだ。何らかのミスがあったようには思えない。不明ではなく、ハッキリと死亡だ。

    我が国の戸籍制度は戦前から厳格で、軽々に市民を死亡扱いとすることはない。公的な資料とも言える公立校の卒業名簿で死亡者になっていたことは、素性を探る上でスルーできない。

    福岡は吉田の出身地である。親兄弟・親類縁者が身近に居れば、卒業名簿で「死亡」と誤表記される事態には至らないだろう。非常に不自然である。実際の戸籍上では、どのような扱いなのか興味が尽きない。

    そして、高校での死亡扱いから40年余り、吉田雄兎の本名を持つ、異形の架空戦記作家が世に現れる。果たして、吉田清治の筆名を名乗る男と卒業名簿で死亡扱いだった吉田雄兎は同一人物なのか…
    「成り済まし」「背乗り」というキーワードが浮かぶのは私だけではないだろう。物証は何一つないが、ズバリ直言しておこう。吉田清治は在日朝鮮人である可能性が存在するのだ。

    吉田が24歳の時に養子にした李貞郁は、実の弟なのではないか? 密かに九州に渡った朝鮮人が死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取り、そして実弟を養子として入籍した…そんなストーリーだと辻褄が合う。
     吉田本には、両親や他の家族にまつわるエピソードが殆ど登場しない。偽りの個人史の片隅に出てくるのは、唐突に養子にした“息子”李貞郁と昭和19年5月に結婚した妻のフサエだ。

    いったい、吉田清治こと吉田雄兎は何処から来て、何処に消えたのか…うっすらと寒気を覚える吉田ミステリーである。

    養護施設で暮らしている可能性もあるだろうが、それを示唆する情報も皆無だ。稀代のダークヒーローとして盛んに取り上げた反日メディアも、吉田の消息について一切触れていない。

    生まれも育ちも末期までも、その人生すべてが曖昧である。正体不明の詐欺師・吉田清治こと吉田雄兎。ハッキリと残っているのは、この男の捏造話で我が国が受けた大きな傷跡だけだ。

    ▼南鮮で涙の謝罪演じる吉田(92年)

    日経平均株価【998407】 成りすまし、背乗りは戦前からあった…  稀代の詐話師     その素性を暴く!!   吉田清治が済州島に乗り込んで「慰安婦狩り」を行なったという記述が、デビュー作では「昭和19年4月」なのに対し、2作目では「昭和18年5月」と異なる。単純な設定ミスがあったのだ   そして、小説内で披瀝される経歴も嘘と虚飾に満ちていた。  【吉田が元軍人というデマ】  吉田清治はデビュー作で「本籍地は山口県」と記しているが、実際は福岡県芦屋町西浜。そして上京して都内の大学に通ったという。朝日新聞は吉田の学歴を法政大卒と報道したが、明らかな詐称だった。  また秦郁彦氏に対しては法政大中退と説明していたが、同大学には在籍記録が存在しない。この学歴詐称だけでも吉田清治が生粋のペテン師であることが判る。職歴に至ってはなおさらだ。   吉田清治について「元日本軍人」と解説されるケースが多く見られた。ウィキペディアでも誤った説明が訂正されず、残っている。吉田雄兎が所属していた労務報国会は、軍とは一切関係のない団体である。   史実どころか自分史をも嘘で塗り固めた吉田清治。その人生で最も不可解なかたちで登場するのが、吉田の息子だ。   【突然現れた4歳下の“息子”】   金永達(キム・ヨンダル)という息子が吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』で紹介されている。もちろん日本人ではなく、朝鮮人。そして、この名前もまた仮名だ。   実名は、李貞郁(リ・ジョンウク)。秦氏への説明によると、吉田は昭和12年4月に、この李貞郁を養子に迎え入れたという。不自然で唐突すぎる縁組みだ。   この時、大正2年生まれの吉田雄兎は24歳。設定では大学卒業直後の独身者だ。一方の李貞郁は、大正6年生まれの20歳だった。4歳年下の朝鮮人をいきなり養子として入籍させたとうのである。   奇妙なストーリーだ。朝鮮人を養子に迎えるには、相応の背景なり理由があるはずだが、吉田は何も語っていない。24歳の独身男が朝鮮青年を養子にするという異常事態に親兄弟ら縁者は反対しなかったのか?   養子縁組までの事情を深く探れば、吉田清治の正体が見えてくるかも知れない。   【1人目の吉田雄兎は死んでいた】   吉田清治とは何者なのか…プロフィールを調査していた秦郁彦氏は、学歴を辿る過程で、衝撃的な事実に出くわす。吉田雄兎は、戦前に死亡していたのだ。   昭和初頭、吉田雄兎は地元福岡の門司市立商業高等学校に入学した。同校は大正7年創立の伝統校で、現在は福岡県立門司大翔館高校へ名称を変更している。   その門司市立商高の昭和6年度卒業生名簿には、吉田雄兎「死亡」と記されていたのだ。何らかのミスがあったようには思えない。不明ではなく、ハッキリと死亡だ。   我が国の戸籍制度は戦前から厳格で、軽々に市民を死亡扱いとすることはない。公的な資料とも言える公立校の卒業名簿で死亡者になっていたことは、素性を探る上でスルーできない。   福岡は吉田の出身地である。親兄弟・親類縁者が身近に居れば、卒業名簿で「死亡」と誤表記される事態には至らないだろう。非常に不自然である。実際の戸籍上では、どのような扱いなのか興味が尽きない。   そして、高校での死亡扱いから40年余り、吉田雄兎の本名を持つ、異形の架空戦記作家が世に現れる。果たして、吉田清治の筆名を名乗る男と卒業名簿で死亡扱いだった吉田雄兎は同一人物なのか…  「成り済まし」「背乗り」というキーワードが浮かぶのは私だけではないだろう。物証は何一つないが、ズバリ直言しておこう。吉田清治は在日朝鮮人である可能性が存在するのだ。   吉田が24歳の時に養子にした李貞郁は、実の弟なのではないか? 密かに九州に渡った朝鮮人が死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取り、そして実弟を養子として入籍した…そんなストーリーだと辻褄が合う。   吉田本には、両親や他の家族にまつわるエピソードが殆ど登場しない。偽りの個人史の片隅に出てくるのは、唐突に養子にした“息子”李貞郁と昭和19年5月に結婚した妻のフサエだ。   いったい、吉田清治こと吉田雄兎は何処から来て、何処に消えたのか…うっすらと寒気を覚える吉田ミステリーである。   養護施設で暮らしている可能性もあるだろうが、それを示唆する情報も皆無だ。稀代のダークヒーローとして盛んに取り上げた反日メディアも、吉田の消息について一切触れていない。   生まれも育ちも末期までも、その人生すべてが曖昧である。正体不明の詐欺師・吉田清治こと吉田雄兎。ハッキリと残っているのは、この男の捏造話で我が国が受けた大きな傷跡だけだ。   ▼南鮮で涙の謝罪演じる吉田(92年)