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(株)フルッタフルッタ - 株価チャート

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    06年、14年と貯蔵冷凍庫を増設し、現在は計3000tが保存可能となっており、来年から新たに5つの貯蔵冷凍庫(5000t分)を増設する計画も浮上しており、総会で審議される。

     現在、製造ラインでは、パルパーフィニッシャー搾汁機と呼ばれる設備を主に、24時間で約60tが生産可能だという。原料の一時保管は2、3日が限界で、それぞれの収穫時期に合わせて製造ラインに投入している。

     工場は50人ほどの事務員を含む約170人の従業員で稼働させており、うち日系人の割合は数人だという。工場経営は軌道に乗ってきたが、取り組むべき課題もある。CAMTAでジュース工場主担当者の渡辺勝人エジムンド専務理事によると、原料の歩留まりは約4割で、工場稼働の光熱費は月間20万レアルを要しているそうだ。

     国外でも人気を誇るアサイーや、マラクジャなどのヤシ類は、油分を多く含んでおり、コプラール(8~12%)、メディオ(12~14%)、エスペシアル(14%~)と濃度によって3種類に分類され、濃度が高いほど高品質なものとなる。

     また、14年のサッカー・ワールドカップ・ブラジル大会時の好景気以降、出荷量は減少傾向にあり、販売先との取引量も伸び悩んでいる。さらに、近年は日本へのデカセギ増加による原料生産者の減少から、移住地の外部から原料を購入することもあるのだとか。

     国際市場にアマゾンの天然ジュースを輸出してきた工場には、今後の販売形態見直しが求められそうだ。

  • '93年に140万枚を超える大ヒットを記録したTHE BOOMの『島唄』。宮沢和史さん(53)は戦争の悲劇を繰り返さないでほしいというメッセージを歌詞に込めた。その歌声は海を越えて沖縄出身の日系人が多い南米でもヒット。宮沢さんは、ボロボロになりながらも見知らぬ土地を開拓し、尊敬を勝ち得ていった日系人の魂を癒すために、かの地で歌い続けてきた――。

    宮沢さんは'66年、山梨県甲府市生まれ。沖縄出身ではないが、沖縄に関わり続けてきた。THE BOOMを'14年に解散。現在ソロ活動中の宮沢さんは、今年、デビュー30周年を迎える。

    『島唄』誕生のキッカケが訪れたのは、数度目の沖縄でひめゆり平和祈念資料館を訪れたとき、ひめゆり学徒隊で生き残った語り部の女性との出会いだった。

    「恥ずかしながら僕は、当時、沖縄戦のことをよく知らなかった。集団自決があったこと、4人に1人が亡くなったこと。日本人として知っていなくちゃいけないことを知らなかった自分が恥ずかしくて。本当に申し訳ない気持ちになりました。同時に、そういうことを教えない教育に対して、ものすごく疑問を感じたんです」

    戦後の日本の繁栄は、沖縄戦で散った20万柱の上にある。そんな歴史が忘れられていいのか。そう考えた宮沢さんは、沖縄の人に何か返したいと思うように。

    「今度、その語り部の女性に再会したとき聴いてもらう曲を作ろう。沖縄戦を体験された方々に恥ずかしくない曲を、と思って作ったのが『島唄』です」

    '93年に発売された『島唄』(オリジナル・バージョン)は140万枚を超える大ヒットを記録。宮沢さん27歳のときだった。『島唄』のヒットによって、自分の音楽の作り方は間違っていない、という確信を得た宮沢さん。探求心は、さらに南米音楽へと向かっていく。

    '96年にはブラジル3都市でTHE BOOMのライブを実施。'98年にはソロで南米のアーティストとアルバムをリリース。

    「ブラジル音楽に傾倒しているときも、アルバムにはかならず沖縄音楽の影響を受けた楽曲を入れていました。精神的には、いつも沖縄と近いところにあった。でも、物理的に行く回数は減っていた時期でしたね」

    しかし、再び、海を越えて沖縄と出合い直す出来事あった。'01年、アルゼンチンで『島唄』がカバーされ、大ヒットしているという噂が飛び込んできたのだ。

    「びっくりしたのは、知らない歌い手に勝手にカバーされていたこと(笑)。もっと驚いたのはスペイン語じゃなく、日本語でカバーされていたことです。日本語でも海外の人の心に届くんだ、と」

    宮沢さんは、その歌手に会うため、すぐ首都・ブエノスアイレスに向かった。

    歌っていたのは、アルフレッド・カセーロというアルゼンチンで有名なマルチタレントだった。大の沖縄びいきで、沖縄系の日系人がやっている日本食レストランで「島唄」を耳にし、気に入ったのだという。

    「でも、カセーロは、日本語もわからない。三線も初めて。それで、沖縄系の日系人ミュージシャンに参加してもらって、レコーディングしたそうです」

    アルゼンチンにも、戦前・戦後に移民で渡った日本人の子孫が暮らしている。そのうち、沖縄からの移民は約7割だ。沖縄の人に導かれるように、宮沢さんの世界が一気に広がった。

    宮沢さんとカセーロは意気投合。滞在中に、首都ブエノスアイレスの日本庭園で開いた2人のライブには、約5,000人もの観客が詰めかけ『島唄』の大合唱となった。『島唄』に込めた思いが、海を越えて届いた瞬間だった。

    南米を何度も訪れるうちに、宮沢さんの中で大きくなっていったのが“日系人”の存在だ。

    「正直言って、初めてブラジルでライブをしたときは、ブラジル人にどれだけ自分たちの音楽が通用するか、という気持ちが強かった。でも、ライブをするたび、たくさんの日系人が集まってくれて『ミヤザワ、ミヤザワ』と喜んでくれる。チケットを売ってくれるのも日系人。いつの間にか、この人たちを喜ばせたいと思うようになっていたんです」
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    宮沢さんは、移民の歴史を学び、沖縄戦を知ったときと同じように衝撃を受けた。

    「戦前から戦後にかけて、国策で多くの日本人がブラジルやペルー、アルゼンチンなどに渡りました。奴隷のように農場で働かされ、マラリアで死ぬ人も多かった。それほど苦労したのに、ブラジルに渡ってたった100年で、日本人はブラジル社会でなくてはならない存在になっているんです」

    政治や医療の世界で日系人の活躍は目覚ましく、トップクラスの大学で上位に日系人の名前を見ることができる。

    「過酷なアマゾンの土地を切り開き、ブラジル農業のお手本にもなっています。アサイーを日本に輸出しているのも日系人なんですよ。そんなたくましい日系人の活躍を見ていると、あぁ、カッコいいなと思うんです。僕ら日本人は、いつからこんなに弱っちくなったんだろう、って」

    第1回ブラジル移民の故・中川トミさん(当時98歳)との出会いも大きかった。トミさんは1歳のとき、熊本から両親とブラジルに渡った移民。

    「『とにかくよく働きました』と繰り返し、僕にそう言った。それが印象的で。それまで“移民史”って、教科書に載っている白黒写真みたいに現実味がなかった。でも、トミさんに会って、移民史って人の一生じゃないか、と。急に自分にとって身近に思えたんです」

    この出会いによって、ブラジル移民100周年を祝うライブツアーを、ブラジルでしようと決意した宮沢さん。多国籍バンド『GANGAZUMBA』結成し、準備を進めた。日系人をねぎらう楽曲『足跡のない道』もリリース。

    しかし、トミさんとの再会はかなわなかった。'06年、100周年を待たず、トミさんは帰らぬ人に。

    宮沢さんは'08年の移民100周年で、日系人の多い町を中心にライブツアーを実施。多くの日系人が駆けつけ、各地のライブは盛況に終わった。

    「土臭い、汗臭いものじゃないですか人生って。僕は日系人の方々に出会って、泥だらけになっても懸命に生きる人たちが、ちょっと上を向けるような歌を作り続けたいと思うようになりました」

  • '93年に140万枚を超える大ヒットを記録したTHE BOOMの『島唄』。宮沢和史さん(53)は戦争の悲劇を繰り返さないでほしいというメッセージを歌詞に込めた。その歌声は海を越えて沖縄出身の日系人が多い南米でもヒット。宮沢さんは、ボロボロになりながらも見知らぬ土地を開拓し、尊敬を勝ち得ていった日系人の魂を癒すために、かの地で歌い続けてきた――。

    宮沢さんは'66年、山梨県甲府市生まれ。沖縄出身ではないが、沖縄に関わり続けてきた。THE BOOMを'14年に解散。現在ソロ活動中の宮沢さんは、今年、デビュー30周年を迎える。

    『島唄』誕生のキッカケが訪れたのは、数度目の沖縄でひめゆり平和祈念資料館を訪れたとき、ひめゆり学徒隊で生き残った語り部の女性との出会いだった。

    「恥ずかしながら僕は、当時、沖縄戦のことをよく知らなかった。集団自決があったこと、4人に1人が亡くなったこと。日本人として知っていなくちゃいけないことを知らなかった自分が恥ずかしくて。本当に申し訳ない気持ちになりました。同時に、そういうことを教えない教育に対して、ものすごく疑問を感じたんです」

    戦後の日本の繁栄は、沖縄戦で散った20万柱の上にある。そんな歴史が忘れられていいのか。そう考えた宮沢さんは、沖縄の人に何か返したいと思うように。

    「今度、その語り部の女性に再会したとき聴いてもらう曲を作ろう。沖縄戦を体験された方々に恥ずかしくない曲を、と思って作ったのが『島唄』です」

    '93年に発売された『島唄』(オリジナル・バージョン)は140万枚を超える大ヒットを記録。宮沢さん27歳のときだった。『島唄』のヒットによって、自分の音楽の作り方は間違っていない、という確信を得た宮沢さん。探求心は、さらに南米音楽へと向かっていく。

    '96年にはブラジル3都市でTHE BOOMのライブを実施。'98年にはソロで南米のアーティストとアルバムをリリース。

    「ブラジル音楽に傾倒しているときも、アルバムにはかならず沖縄音楽の影響を受けた楽曲を入れていました。精神的には、いつも沖縄と近いところにあった。でも、物理的に行く回数は減っていた時期でしたね」

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  • 【タジン鍋:2009年】
     いきなり「食べ物」ではなく「調理器具」で申し訳ないですが、これもブームの1つに加えても良いでしょう。タジン鍋は円錐状の蓋が特徴的な、アフリカ大陸のモロッコ発の調理器具。食材から出る水分が鍋を循環し、ヘルシーな蒸し料理が楽しめる鍋として一気に広まりました。
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    【生スイーツ:2010年】
    「生チョコ」「生キャラメル」など、生っぽい食感を持つスイーツが次々と登場し、2010年前後には「生ドーナツ」「生カステラ」「生プリン」「生チーズケーキ」「生どら焼」「生タルト」「生マカロン」「生大福」など、「生○○」が乱立するようになりました。
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    【パンケーキ:2011年】
     昔からあった食べ物が、名前が変わったらヒットしたのがこちらのケース。「甘みがあるかないか」「厚みがあるかないか」など、パンケーキとホットケーキには多少の違いがあるようですが、明らかに「これホットケーキでしょ」というものもありました。ブームのきっかけは、海外の有名店が上陸したことでしたが、「ネーミングの勝利」とでもいうべきブームでした。
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    【アサイー:2013年】
     アサイーはブラジル原産のヤシ科の果物で、色は濃い紫。凍らせたアサイーをスムージーにして、バナナなどをのせた「アサイーボウル」は、「ブラジルでサーファーが食べている」「ハワイで大行列」「美容に良い」「海外セレブが好き」といった触れ込みで上陸し、注目されました。
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    【ギャレットポップコーン:2013年】
     こちらは局所的に大騒ぎになった食べ物。アメリカ・シカゴ発の人気ポップコーン店が日本上陸を果たし、一瞬ではありましたが、ポップコーンを買うために数時間並ぶ異常事態も発生しました。

  • シーシェパードみたいな過激な環境保護団体(笑)

    そもそも株主が期待している上場企業としての役割を蔑ろにし、別の目的へと固執してる。。

    さすが極左の長澤先生(笑)
    クラウドFで資金調達すれば誰も不幸にならず済んだのにね。。
    人の金を溶かして自慰だもんな。

  • IRセミナーを拝見しました。会社としてどういう企業を目指して今日に至っているかはよく理解できますし、志は素晴らしいものがあります。でも、これまでの経営指標を見る限り、企業としての存続すら危うい状態に陥っていますね。チョコレートメーカー(明治)へのカカオ原料供給が順調だと言っても、明治は宣伝にもなり、利益もあげているかもしれないが、サプライヤー(輸入商社)としての利幅はわずかなものでしょう。森の再生には多様な産物を扱う必要があるのでしょうが、現実には事業として成り立たなくなりつつあるのが現実のようですね。早く億単位の赤字を何とかしないといけません。従業員も口に出せなくても会社の行く末を心配しているのでは? どこかフルッタさんの企業理念を共有してもらえる大手の企業に事業をゆだねた方が良いのでは?

  • >>586

    JFLAも赤字だし資本業務提携解消した方がポジティブという思惑かとも思ったけど、資本業務提携はそのまま継続って書いてあるし謎ですねw

    なんにせよJFLAからの取り締まり役2名辞任だから何かもめたのは間違いないか…と

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