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♪株喫茶♪の掲示板

うちの爺さんと同じくらいの古参兵で、
「飢島」ことガダルカナルと「史上最悪の作戦」「白骨街道」ことインパールを
両方体験した人の戦記があって、

福岡の兵隊らしくイケイケな部隊で、敵味方からも評判悪く?
粗暴で短絡的な思考の印象も受けたが、
冒頭の詩は体験者でしか書けないものがあったのでコピペでやす。

ゆうじと言う人が文字起こしと注釈入れた文の部分コピペ。


高崎 伝(たかさき つとむ)「最悪の戦場に奇跡はなかった」 より

血涙の詩  高崎伝

火の雨の降る敵前上陸
火の玉の炸裂する十字砲火の中の総攻撃
遠い昔――
血戦ガダルカナル島で
戦い敗れ 弾丸はなく 食料もなく
骨と皮に痩せおとろえた五ヶ月余
――私は
飢えたる島ガダルカナルで
天に慟哭(ドウコク)しながら死んでいった (※慟哭=悲しみのため声をあげ激しく泣く)
竹内覚君を永遠に忘れない

そしてまた遠い道――地の果て
激戦インパールの敗退
どしゃ降る雨季の印緬国境で   (※印緬=印度インド・緬甸ビルマ)
日本兵の数千の白骨るいるいたる
“白骨街道”悲劇の惨状を
私はこの目で見てきた

まだ生きている傷病兵の全身に
ウジ虫がわき・・・・・
その生ける屍がかすかな声で哀願した
「私を殺してください・・・・・お願いします」
最悪の戦場に奇跡はなかった――
戦いすんで二十有余年
あの悲しい声が
私の耳朶(ジダ)からまだ消えない   (※耳朶=耳たぶ、耳)

人びとはいまわしい過去を忘れても
私は世界の平和がくるまでは
決して忘れはしない  (※勇二のコメント:忘れたいのだが決して出来ない!)
あの――ガダルカナルの島を
あの――インパール“白骨街道”を


後略