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日本の未来を想う
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日本の未来を想うの掲示板

法華経の体とは

法華経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一人として成仏せずということ無けん」云々。文字は十字にて候へども法華経を一句読みまいらせ候へども、釈迦如来の一代聖教を残りなく読むにて候なるぞ。故に妙楽大師云く「若し法華を弘むるには凡そ一義を消するも皆一代を混じてその始末を窮めよ」等云々。始と申すは華厳経、末と申すは涅槃経。華厳経と申すは仏最初成道の時、法慧・功徳林等の大菩薩、解脱月菩薩と申す菩薩の請に趣きて仏前にてとかれて候。其の経は天竺・竜宮城・兜率天等は知らず、日本国に渡りて候は六十巻・八十巻・四十巻候。末と申すは大涅槃経、此れも月氏・竜宮等は知らず、我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等なり。此れより外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり。此等の経々は見ず聞かず候へども但法華経の一字一句読み候へば、彼々の経々を一字も落とさず読むにて候なるぞ。譬えば月氏・日本と申す二字二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・無量の粟散国の大地・草木・人畜等収まれるが如し。(千日尼御返事 抜粋)

これはチベット仏教に伝わる「マニ車」とその精神は同じと思われます。