投稿一覧に戻る 徒然なる団塊部屋の掲示板 192 葦 2019年2月21日 23:15 >>191 ずいきさん 私は東京西部でしたから、学童疎開を受け入れる側でした。 生徒数が、2倍から3倍に増え、教室は身動きがとれないほどでした。 都内から来た子どもは、身なりもこざっぱりして、勉強も良く出来ました。 級長は疎開っ子、威張りチラされ、地元の子らは、力で負けまいとして、諍いばかりでした。 地元の子でしたが、両親のお陰で、疎開の生徒と、身なりも学力も互角でした。 疎開の子は、私を疎開の子だと皆が思っていました。 終戦になり、ほとんどの疎開の子は.元に戻りましたが、残った子もいました。 昼間、青い空に銀色の飛行機が西へ向かって飛んでいました。 当時は、編隊を組んだB29が.山梨方面から、都心に向かってゴーゴーと飛んでいきました。 2月10日の東京大空襲も覚えています。 姉が、学徒動員で、金町にある教科書会社に働きに行っていたのですが、ようやくたどり着いた工場は焼け、焼夷弾が体に刺さって、燃えている状態だったそうです。 電車だけは動いていたのですね。 返信する そう思う0 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
葦 2019年2月21日 23:15
>>191
ずいきさん
私は東京西部でしたから、学童疎開を受け入れる側でした。
生徒数が、2倍から3倍に増え、教室は身動きがとれないほどでした。
都内から来た子どもは、身なりもこざっぱりして、勉強も良く出来ました。
級長は疎開っ子、威張りチラされ、地元の子らは、力で負けまいとして、諍いばかりでした。
地元の子でしたが、両親のお陰で、疎開の生徒と、身なりも学力も互角でした。
疎開の子は、私を疎開の子だと皆が思っていました。
終戦になり、ほとんどの疎開の子は.元に戻りましたが、残った子もいました。
昼間、青い空に銀色の飛行機が西へ向かって飛んでいました。
当時は、編隊を組んだB29が.山梨方面から、都心に向かってゴーゴーと飛んでいきました。
2月10日の東京大空襲も覚えています。
姉が、学徒動員で、金町にある教科書会社に働きに行っていたのですが、ようやくたどり着いた工場は焼け、焼夷弾が体に刺さって、燃えている状態だったそうです。
電車だけは動いていたのですね。