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投稿コメント一覧 (11コメント)

  • >>No. 195

    天皇陛下在位30年、祝賀式典を見ていました。
    皇后陛下が作曲した歌を、テノールの歌手が歌っていました。
    沖縄の雰囲気のある歌でした。

    私は、昭和九年生まれですので、天皇さまより1歳下ですが、陛下がお生まれになった時の歌をよく覚えています。
     ♪ 皇太子さま お生まれになった
    口の回らない私は、「こうたいちさま おうまになった」と歌いました。

  • >>No. 191

    ずいきさん

    私は東京西部でしたから、学童疎開を受け入れる側でした。
    生徒数が、2倍から3倍に増え、教室は身動きがとれないほどでした。

    都内から来た子どもは、身なりもこざっぱりして、勉強も良く出来ました。
    級長は疎開っ子、威張りチラされ、地元の子らは、力で負けまいとして、諍いばかりでした。
    地元の子でしたが、両親のお陰で、疎開の生徒と、身なりも学力も互角でした。
    疎開の子は、私を疎開の子だと皆が思っていました。
    終戦になり、ほとんどの疎開の子は.元に戻りましたが、残った子もいました。

    昼間、青い空に銀色の飛行機が西へ向かって飛んでいました。
    当時は、編隊を組んだB29が.山梨方面から、都心に向かってゴーゴーと飛んでいきました。

    2月10日の東京大空襲も覚えています。
    姉が、学徒動員で、金町にある教科書会社に働きに行っていたのですが、ようやくたどり着いた工場は焼け、焼夷弾が体に刺さって、燃えている状態だったそうです。
    電車だけは動いていたのですね。

  • >>No. 184

    トビバコさんが仰る、北朝鮮への帰国。
    担任した児童の中に「呉」(くれ)君がいました。
    金喜楼事件で、お父さんが拘わったようです。
    その呉君も、北朝鮮に帰国しました。いま、名簿は、氏名以外は空欄です。
    帰国後、一度会った時は「住みよい国だ」と言ってました。
    いま、彼の消息を、誰も知りません。

  • >>No. 180

    お早うございます。

    きょうも、いい天気です。気温は低いのですが。

    セイント パトリックデーの行列で演奏するSaint Patrick's Day"を、練習中です。
    若い人たちは、楽譜を見ると、すぐ吹けるのですが、楽譜が読めない悲しさ、とてもついていけません。
    日曜日なので、参加はできませんが。

    今夜も合唱があります。
    家内は、息子たちに頼んであります。

  • >>No. 154

    ゆうやけさん

    フロリダの旅は、大変な旅行でしたね。10:35は気の遠くなる時間です。事故もなく、行かれたことは、幸せでした。

    我が家は、もう旅には出られません。
    山梨か信州に行きたいのですが・・・。

    木の枝に掛かっているとろろ昆布のようなモノのは、サルオガセだと思います。
    東京でも1500メートルほどの三頭山にあります。木の養分を吸い取るわけでもないし、木も恩恵を被っている様子もないそうです。

  • >>No. 147

    紫蘭さん

    最近たこ揚げを見ません。14~5年前まで、昭和記念公園のみんなの広場で、あげた経験があります。
    連凧は、個人でなく、数人が一緒に作り、合作の楽しみがありました。

    大雪の前触れが大きく、雪かき道具夜用意して、待っていましたが、ほとんど降りませんでした。
    朝から車が使えました。

    ゆうやけさん そちらでは凧上げは、見かけますか?

  • >>No. 126

    紫蘭さん お早うございます。

    かやぶき屋根に、白梅が見事です。
    温かそうな芝生、ウグイスはまだかいな。
    紅梅が先に咲くようですね。  

    暖冬気味とはいえ、東京は雪が予想されています。
    明日の晩の合唱、さてどうなりますことやら。

  • >>No. 115

    トビバコさん

    例の大臣が、「子どもを産まない方が間違っている」と、調子に乗って、一席ぶった。
    私も、拍手したい気持ちです。
    すべての生き物は、自分の子孫を残すため、雄同士が、壮絶な戦いをしています。
    牝も、良い子孫を残すため、強い雄を選んで、交合します。

    なのに、生き物の最高位の人が(とくに日本人)、生き物の、大事な仕組みを捨てようとしています。
    独り立ちを早めることが大事ですが、子孫を残す願望がなくては、始まりません。

    かつては、お世話焼きの人が居て、よい人を紹介し、仲人の回数を競った話があります。
    私も、恋愛感情を持った女性が、数人居ましたが、自力では射落とせませんでした。上司の紹介で・・・?

  • >>No. 110

    うみのかえるさん

    まだ献血が出来る年代なんですね。

    私は、家内の大きな手術の時、何人もの方から、献血手帳を集め、輸血しました。
    それ以来、勤め先の行事の時、保護者が集まるので、献血車を呼び、協力を呼びかけました。
    まだ、成分献血でない頃でしたので、必要以上に血を抜かれましが、みなさん快く協力したくれました。

    この歳になると、仲間の数人が、国の褒賞を受けています。
    国家公務員、地方公務員として互いに貢献したはずですが、世渡りの上手な人や、勲章の好きな人だけが、褒賞を受けるようです。ヒガミかな?

    退職する時に、自分の功績を書いて、教委に届けるのですが、その気がないので、出しませんでした。

    昨年、1歳年上の同僚だった方が、褒賞を受けました。胆嚢手術だったので、祝賀会には出られませんでした。
    その方は、いま独りでは動けない状態です。
    私の、褒賞は、一人で出かけられることです。急ぐ時は、駅の階段を走り下りることもあります。過信はしていません。転んで困るのは自分だから。

  • >>No. 100

    私たちが、子ども頃は、遊びは自然を利用していました。
    紫蘭さんが張った、紙鉄砲の弾は、鉄砲の太さに合わせて、杉のつぼみ、お茶のつぼみ、紙は嚙んで、フリーサイズになりました。

    愛用の切り出しナイフを使い、手先が器用になりました。
    鉛筆を削ると、芸術品のような美しさ。鉛筆削りでは出せない光沢がありました。
    ナイフによる怪我は、その代償でした。

    歯痛には悩まされました。
    歯医者に行くと、削られるたびに激痛、それゆえ白衣を見ただけで、震え上がったものです。
    床屋の白衣も、痛そうで行けませんでした。バリカンで丸坊主。

  • トビバコさん

    こんばんは。不思議な部屋に案内されたような気がします。
    また、お邪魔します。
    きょうは大変なことが発生し、疲れました。

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