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徒然なる団塊部屋の掲示板

>>176

しらんさん、みなさんこんにちは、、

2/24のバレンタインデーと、そのお返しのひと月遅れの3/24のホワイトデー、最近はどうも少し熱が冷めて来たような気がするのですが、どうでしょうか。

1929.2.24の「血のバレンタインデー」の話では、昔の思い出のサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフと湾に浮かぶアルカトラズ島を思い出します。映画のクリント・イーストウッドの「アルカトラズからの脱出」も中々良かった。

それと、1929年と言えば、あのニューヨーク株価の暴落の年で、この後の日本の農村の窮状が、日本が軍国主義に走り出した背景の一つだった。シランさんは現実にその時代を生きてこられたのですね。以下は以前別カテに投稿した文章の一部です。

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前の戦争については人それぞれに考えはあると思いますが、あの敗戦を経た事、戦後の日本人の頑張り、その結果の現在日本があると思う。1929年のニューヨーク株価の暴落後の日本では、最も悲惨をきわめたのが地方の農村社会で、小作人という土地を持たない農民は地主に小作料として米の半分を取られていた。

常食は稗ぬかや楢の実で、味噌もぜいたく品になり、それらをただ塩で味付けしただけの食事になっていった。毎日が最低の生活の農民がさらに困る生活とは、彼ら家族が黙って死んでいく生活である。

そして、かの地方では娘を売る事が瞬く間に広がり、売られた娘は都会で娼婦や女給になった。その頃海辺で自殺した沢山の売春婦は、「ダンゴ」と言われてニュースにもならなかった。こうした農村の窮状は、農村出身者の多い兵卒や、青年将校たちの心に影を落としていった。***