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ネット小説大賞 ヤフー株板編
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ネット小説大賞 ヤフー株板編の掲示板

 けものたち

 四
 その客、横田泰三は、加奈子から紹介を受けて、早速、洋一の自宅兼アトリエを訪ねた。
 そこにある絵はほとんど皆、風景画である。もちろん、それはそれでいいのだが、横田はどうしても、あの加奈子の絵が欲しかった。だから、
 「同じものをもう一枚書いていただけませんか?」
 と頼んだのだが、洋一は気が重かった。
 創作は楽しいが、同じ絵の二枚目を描くのは単なる労働である。洋一は商売で絵を描いているわけではない。まして人物画は洋一の得意分野ではない。
 「せっかくですが、それは出来かねます」
 と答えた。
 しかし横田は諦めなかった。
 「そう言わずになんとかお願いします。加奈子さんにもお願いしたのですが、あの絵は素晴らしい。私は一目で惚れこんでしまって、あの絵を分けて下さいと言ったのですが、いや、これは私の宝物だと言って、どうしても譲ってもらえなかったので、こうしてお願いに来たのです」
 「困りましたね。私は気が進まないのですが、それにしても描く以上は加奈子さんの許可も必要だし、だいいち、モデルとして座っていてもらわなければならないのですが・・・」
 「分かりました。加奈子さんには私からもう一度頼んでみます。今日は突然やってきて無理なお願いをしてすみませんでした」
 と言って帰っていった。
 無理に押し切られた形ではあったが、洋一は加奈子さえよければ引き受ける気になっていた。
 横田氏は加奈子の店の大事な常連客だろうと思ったし、絵のモデルを口実に加奈子と一対一で過ごせることも楽しみだった。
 洋一は自分とよく似たタイプの加奈子に、妻の昭子には無い親しみを感じていた。前の絵のスケッチを描いたのはほんの思い付きで、それをあの十二号の額縁付きの油絵に仕立てるつもりは無かったのだが、家に帰ってキャンバスに向かったとき、加奈子の喜ぶ姿が目に浮かび、筆が進んでしまったのであった。
 人間の心と身体は一体のものである。加奈子への関心が深まるにつれ、動作にもそれが表れ、言葉使いも立ち振る舞いも、知らない人が見たら夫婦かと思うような親しい関係になっていった。そういう空気は、当然、加奈子も同様で、女性の場合は身体から特殊なフェロモンが発せられるようであった。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 洋一たちが福井へ来てから、もう一年半になろうとしていた。
そんなある日、事件は起こった。
 ある日、洋一たちのマンションに康平夫婦が来て一緒に夕食をとっている時、加奈子がふと、酒の酔いも手伝って、
 「ねえ昭子、今夜一晩、旦那を交換しようか!」
 と言ってしまったため、一瞬、その場が凍りついてしまったのである。
 時間が止まった。それはほんの一~二秒間のことではあったが随分長く感じられた。実はその時は、康介も、洋一も、そして昭子までも、口には出さずともそういう雰囲気になっていたのである。そんなことが、特別あり得ないことのようには感じなくなっていたのである。洋一は今の加奈子の発言が自分の口から出たのではないかと錯覚したくらいである。

 しかし、一瞬ののち、加奈子が、
 「あはは、みんな本気にしてる!! 冗談冗談、」
 といったため、表面上は冷静を取り戻したかのように見えたのだが、・・・・・・

 数日置いて今度は山田家の中庭で加奈子の手料理、(と言っても、ピザやサラダなどが中心で、さほど手のかかったものではないが、)を頂くことになった。
 洋一は言った。
 「加奈子さん、この前はびっくりしたよ!! でも残念だったな。俺、加奈子さんを押し倒してみたかったなあ!」
 「あら、じゃあほんとうにそうすればよかったのに、ねえあなた」
 康介 「俺も洋一だったら許すよ、ほんとは、あの時君が冗談冗談!と言わなかったら誰も反対しなかったと思うよ。ただ俺は昭子さんとは、そういうのでなくて、お茶をいただいて、静かにお話しして過ごしたいと思っていただけだがね」
昭子 「私も洋一が加奈子さんとそういう関係になっても、きっと嫉妬する気は起きないと思うわ。康一さんだって、嫌がる私にそういうことを強いるような人ではないし、少し時間をもらえば、きっと康一さんと私も、そういう夢のようなひと時を過ごすことができたと思うの」
 冗談を装ってはいても、その場の雰囲気はぎこちないものだった。洋一はなにかそのことに触れないとかえって不自然な気がして、冗談めかして言ったのだが、なんとなくよそよそしい、口から出る言葉と、思っている事とが違うという、虚しい空気の流れを感じ取っていた。
 昭子は、自分が加奈子からの突飛な提案を聞いたとき、別段それが特別あり得ない提案のようには感じていないことに驚いていた。自分の心の底に眠っていたものが、加奈子の言葉で目覚めたような気がしたのである。いったい、貞淑そのものだと思っていた自分という女は何者なのかと、不思議に思ったのである。