投稿一覧に戻る 日本共産党が戦後の武装闘争を隠蔽するのは何故なのか?の掲示板 1 大門CEO 2022年2月15日 12:58 1951年10月の5全協では、「51年綱領」とともに「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」と題する軍事方針武装行動綱領も打ち出され、日本共産党は火炎瓶を用いた武装闘争に突入し、殺人事件や騒擾事件をひきおこした。そのときの地下出版物が「球根栽培法」という題名で偽装されており、のちの過激派のテロ手口の手本となった。 このような日本共産党の非合法活動は、国民から非難されるところとなり、支持を失った日本共産党は、1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で全議席を失った。 現在、日本共産党はこともあろうに、「党のあゆみ」で以下のように、過去の行為を否定・隠蔽している。 「1950年代 ・「自主独立」を確立、武力革命おしつけを拒否 旧ソ連、スターリンが日本に武力革命方針を押しつけ、党が分裂。他国から干渉を受けない「自主独立」の立場を確立し、武力革命路線も明確に否定しました。」 大問題では??? 返信する そう思う5 そう思わない2 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
大門CEO 2022年2月15日 12:58
1951年10月の5全協では、「51年綱領」とともに「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」と題する軍事方針武装行動綱領も打ち出され、日本共産党は火炎瓶を用いた武装闘争に突入し、殺人事件や騒擾事件をひきおこした。そのときの地下出版物が「球根栽培法」という題名で偽装されており、のちの過激派のテロ手口の手本となった。
このような日本共産党の非合法活動は、国民から非難されるところとなり、支持を失った日本共産党は、1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で全議席を失った。
現在、日本共産党はこともあろうに、「党のあゆみ」で以下のように、過去の行為を否定・隠蔽している。
「1950年代 ・「自主独立」を確立、武力革命おしつけを拒否
旧ソ連、スターリンが日本に武力革命方針を押しつけ、党が分裂。他国から干渉を受けない「自主独立」の立場を確立し、武力革命路線も明確に否定しました。」
大問題では???