投稿一覧に戻る 源氏物語の掲示板 14 空蝉 2022年6月7日 06:41 光秀の発句は通説となっている「ときは今 あめが下しる 五月かな」ではないこと、連歌に込められた祈願は発句・脇句・第三・挙句の四つの句を解読すればわかること、そして解読のキーとなる土岐氏の歴史について解説してきました。 それでは四つの句の裏の意味を読み解きましょう。 発句 「時は今 あめが下なる 五月かな」 光秀 「土岐氏は今、この五月雨(さみだれ)にたたかれているような苦境に立たされている五月だ(六月になればこの苦境から脱したい)」 脇句 「水上まさる 庭の夏山」 行祐 「土岐氏のご先祖をはるかに上回る勢いの光秀様の権勢を持ってして(苦境を脱してください)」 第三 「花落つる 池の流れを せきとめて」 紹巴 「土岐康行の乱の結果、土岐氏の本流を継いだ土岐池田氏の系統に成り代わって、土岐明智氏が土岐氏を背負っていってください」 挙句 「国々は 猶(なお)のどかなるころ」 光慶 「そして、国々がのどかに治まる太平の世をもたらしてください」 「斉藤道三に美濃守護職を追放された土岐池田氏の系統に成り代わって、土岐明智氏が土岐氏を背負っていってください」 ③第三の「花」とは桜です。「花が落ちた」ということで「栄華を失った」、具体的には「美濃守護職を失ってしまった」土岐池田氏の流れをせきとめてと、と解釈しました。 光秀の発句は通説となっている「ときは今 あめが下しる 五月かな」ではないこと、連歌に込められた祈願は発句・脇句・第三・挙句の四つの句を解読すればわかること、そして解読のキーとなる土岐氏の歴史 それでは四つの句の裏の意味を読み解きましょう。 発句 「時は今 あめが下なる 五月かな」 光秀 「土岐氏は今、この五月雨(さみだれ)にたたかれているような苦境に立たされている五月だ(六月になればこの苦境から脱したい)」 脇句 「水上まさる 庭の夏山」 行祐 「土岐氏のご先祖をはるかに上回る勢いの光秀様の権勢を持ってして(苦境を脱してください)」 第三 「花落つる 池の流れを せきとめて」 紹巴 「土岐康行の乱の結果、土岐氏の本流を継いだ土岐池田氏の系統に成り代わって、土岐明智氏が土岐氏を背負っていってください」 挙句 「国々は 猶(なお)のどかなるころ」 光慶 「そして、国々がのどかに治まる太平の世をもたらしてください」 光秀の発句は「ときは今」と始めていますので、主題は土岐氏です。そのことは愛宕百韻の参加者全員がすぐにわかったでしょう。参加者は土岐氏の歴史とその再興を担っている光秀の立場を十二分に理解していたからです。 ただし、光秀の発句の「土岐氏の苦境」が光秀個人の苦境とはとらえず、足利三代将軍義満によって勢力を削がれ、斎藤道三によって守護職を追われて衰退した土岐氏の歴史的な苦境ととらえたはずです。 なぜならば、光秀の詠んだ句では「光秀の苦境=謀反」というニュアンスが全くないのです。秀吉がわざわざ「下しる」と改竄した理由がそこにあります。 愛宕百韻は光秀の中国出陣に際しての戦勝祈願として詠まれました。愛宕山の住職行祐(ぎょうゆう)も連歌師紹巴(じょうは)も光秀の謀反の心は知る由もなく、中国における光秀の戦勝を祈願する素直な気持ちで詠んだのです。 返信する そう思う0 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
空蝉 2022年6月7日 06:41
光秀の発句は通説となっている「ときは今 あめが下しる 五月かな」ではないこと、連歌に込められた祈願は発句・脇句・第三・挙句の四つの句を解読すればわかること、そして解読のキーとなる土岐氏の歴史について解説してきました。
それでは四つの句の裏の意味を読み解きましょう。
発句 「時は今 あめが下なる 五月かな」 光秀
「土岐氏は今、この五月雨(さみだれ)にたたかれているような苦境に立たされている五月だ(六月になればこの苦境から脱したい)」
脇句 「水上まさる 庭の夏山」 行祐
「土岐氏のご先祖をはるかに上回る勢いの光秀様の権勢を持ってして(苦境を脱してください)」
第三 「花落つる 池の流れを せきとめて」 紹巴
「土岐康行の乱の結果、土岐氏の本流を継いだ土岐池田氏の系統に成り代わって、土岐明智氏が土岐氏を背負っていってください」
挙句 「国々は 猶(なお)のどかなるころ」 光慶
「そして、国々がのどかに治まる太平の世をもたらしてください」
「斉藤道三に美濃守護職を追放された土岐池田氏の系統に成り代わって、土岐明智氏が土岐氏を背負っていってください」
③第三の「花」とは桜です。「花が落ちた」ということで「栄華を失った」、具体的には「美濃守護職を失ってしまった」土岐池田氏の流れをせきとめてと、と解釈しました。
光秀の発句は通説となっている「ときは今 あめが下しる 五月かな」ではないこと、連歌に込められた祈願は発句・脇句・第三・挙句の四つの句を解読すればわかること、そして解読のキーとなる土岐氏の歴史
それでは四つの句の裏の意味を読み解きましょう。
発句 「時は今 あめが下なる 五月かな」 光秀
「土岐氏は今、この五月雨(さみだれ)にたたかれているような苦境に立たされている五月だ(六月になればこの苦境から脱したい)」
脇句 「水上まさる 庭の夏山」 行祐
「土岐氏のご先祖をはるかに上回る勢いの光秀様の権勢を持ってして(苦境を脱してください)」
第三 「花落つる 池の流れを せきとめて」 紹巴
「土岐康行の乱の結果、土岐氏の本流を継いだ土岐池田氏の系統に成り代わって、土岐明智氏が土岐氏を背負っていってください」
挙句 「国々は 猶(なお)のどかなるころ」 光慶
「そして、国々がのどかに治まる太平の世をもたらしてください」
光秀の発句は「ときは今」と始めていますので、主題は土岐氏です。そのことは愛宕百韻の参加者全員がすぐにわかったでしょう。参加者は土岐氏の歴史とその再興を担っている光秀の立場を十二分に理解していたからです。
ただし、光秀の発句の「土岐氏の苦境」が光秀個人の苦境とはとらえず、足利三代将軍義満によって勢力を削がれ、斎藤道三によって守護職を追われて衰退した土岐氏の歴史的な苦境ととらえたはずです。
なぜならば、光秀の詠んだ句では「光秀の苦境=謀反」というニュアンスが全くないのです。秀吉がわざわざ「下しる」と改竄した理由がそこにあります。
愛宕百韻は光秀の中国出陣に際しての戦勝祈願として詠まれました。愛宕山の住職行祐(ぎょうゆう)も連歌師紹巴(じょうは)も光秀の謀反の心は知る由もなく、中国における光秀の戦勝を祈願する素直な気持ちで詠んだのです。