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光秀と連歌を語る際、決して切り離して語れないのが「愛宕百韻」です。

天正10年(1582年)5月24日(あるいは28日)に愛宕山で興行された連歌会で詠まれたものです。「時は今~」は本能寺の変の決意表明なのか?
重要と思われる発句から第三句、挙句を挙げてみましょう。

【発句】 ときは今 あめが下な(し)る五月哉 (光秀)
【脇句】 水上まさる庭の夏(松)山 (行祐)
【第三】 花落つる流れの末をせきとめて (紹巴)
【挙句】 国々はなほ長閑なる時 (光慶)
光秀が詠んだ発句の「とき」とはつまり、美濃守護土岐氏の出である明智氏のこと。

訳すと、「土岐氏が天下を支配する五月となった」となります。続く脇句の「まさる(勝)」、第三の「落つる(信長の首が)」というふうに解釈されるのです。

その場にいて第三句を詠んだ紹巴は、本能寺の変の後、秀吉に問い詰められたと言います。この愛宕百韻を光秀野望説の証拠として挙げられることが多いのが現状です。 

これがなぜ有名かというと、本能寺の変と関係があるとされているからです。本能寺の変はこの連歌会から間もない6月2日に起きているのです。

愛宕山の山頂に鎮座する愛宕神社(京都)の鳥居
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源氏物語 光秀と連歌を語る際、決して切り離して語れないのが「愛宕百韻」です。  天正10年(1582年)5月2