投稿一覧に戻る 70歳代のバソコンの掲示板 6883 のらくろ 4月23日 16:45 〇風月抄「4月23日」ヒットラーの自動車の末路 第二次世界大戦で1945年(*昭和20年)の今日「4月23日」にドイツの首都「ベルリン」が陥落して、旧ドイツは敗戦の憂き目にあいました。そして、権勢を振るったドイツ総統の「ヒットラー」も、ベルリンの地下の司令部で、あえなくピストル自殺を遂げましたが、彼には二台の高級自家用車のベンツがありました。 この特製のベンツの総重量は何と4,5トンもあるという頑丈なもので、その外装は、8ミリの鉄板で覆われ、彼が自分でピストルを撃ち込んでみましたが、鉄板に少し傷がついたに過ぎませんでした。 このベンツのうち、一台はヒットラーからフィンランドの「マンネルハイム元帥」に贈られ、元帥はそのベンツを中立国のスェーデンに保管を委託しましたが、自動車税の不払いを理由に競売にかけられてしまいました。これを落札して手に入れたのはシカゴの実業家の「ヤヌス」という人で、彼はそのベンツをニューヨークをはじめ、アメリカ全土で興行用に展示して、合計10万ドルの見物料を稼いでいます。 もう一台のヒットラーのベンツは、1945年にアメリカ軍が無傷のまま没収してアメリカに運びました。この2台揃ったベンツを、アリゾナの不動産業者「T・ベネット」が買収に成功し、彼の自動車のコレクションに加えましたが、数年後に競売に出したところ、一台で15万ドルというベラボウな値段がつき、クラシック・カーとしては史上最高の値がついています。 結局のところ、このベンツの一台はペンシルバニアの「E・クラーク」が、もう一台は{D・テドウィル」という人物の手に入り、クラークは、その後、このベンツをセントルイスの「R・パス」に売り、パスはさらに「A・ファスコナ」という人にに売り飛ばしています。 要するに、流転の旅を続けながら、ドイツの独裁者「ヒットラー」の二台のベンツは、敵国であるアメリカに今なお健在である、という皮肉な結果になっているのです。。 返信する そう思う0 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
のらくろ 4月23日 16:45
〇風月抄「4月23日」ヒットラーの自動車の末路
第二次世界大戦で1945年(*昭和20年)の今日「4月23日」にドイツの首都「ベルリン」が陥落して、旧ドイツは敗戦の憂き目にあいました。そして、権勢を振るったドイツ総統の「ヒットラー」も、ベルリンの地下の司令部で、あえなくピストル自殺を遂げましたが、彼には二台の高級自家用車のベンツがありました。
この特製のベンツの総重量は何と4,5トンもあるという頑丈なもので、その外装は、8ミリの鉄板で覆われ、彼が自分でピストルを撃ち込んでみましたが、鉄板に少し傷がついたに過ぎませんでした。
このベンツのうち、一台はヒットラーからフィンランドの「マンネルハイム元帥」に贈られ、元帥はそのベンツを中立国のスェーデンに保管を委託しましたが、自動車税の不払いを理由に競売にかけられてしまいました。これを落札して手に入れたのはシカゴの実業家の「ヤヌス」という人で、彼はそのベンツをニューヨークをはじめ、アメリカ全土で興行用に展示して、合計10万ドルの見物料を稼いでいます。
もう一台のヒットラーのベンツは、1945年にアメリカ軍が無傷のまま没収してアメリカに運びました。この2台揃ったベンツを、アリゾナの不動産業者「T・ベネット」が買収に成功し、彼の自動車のコレクションに加えましたが、数年後に競売に出したところ、一台で15万ドルというベラボウな値段がつき、クラシック・カーとしては史上最高の値がついています。
結局のところ、このベンツの一台はペンシルバニアの「E・クラーク」が、もう一台は{D・テドウィル」という人物の手に入り、クラークは、その後、このベンツをセントルイスの「R・パス」に売り、パスはさらに「A・ファスコナ」という人にに売り飛ばしています。
要するに、流転の旅を続けながら、ドイツの独裁者「ヒットラー」の二台のベンツは、敵国であるアメリカに今なお健在である、という皮肉な結果になっているのです。。