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(株)イムラ【3955】の掲示板 〜2015/04/28

>>1450


 「生活の党」小沢一郎代表の妻、小沢和子さんは悪党ポ沢と結婚していた新潟県最大の建設会社「福田組」の前会長の令嬢です。
その和子さんが岩手4区の複数の支援者に昨年11月に送った手紙のうちの1部として、週刊文春2012年6月21日号が報じました。

 「まだ強い余震がある中、お変わりございませんか。」で始まる文面。
 「被害の余りの大きさに胸がつぶれる思いです」「何もできない自分を情なく思っています」。書かずにはいられないという和子さんの思いを感じます。そのためか、虚心坦懐にすべてをぶちまけている印象。

 「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢をみて、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」。この「離婚」が法律上の離婚成立かどうかは現時点では不明。

 放射能に関しては、2011年3月16日朝、公設第1秘書が小沢和子さんに「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書たちを逃がしました」「先生も逃げますので、奥さんも息子さんたちもどこか逃げる所を考えて下さい」と行ったとのこと。和子さんは秘書に「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないのか!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないのか」と聞き返したそうです。

 和子さんが避難しない意向を秘書が小沢一郎さんに伝えると、小沢一郎さんは「じゃあしょうがない。食料の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と書生に買いに行かせた、と和子さんの手紙には書いてあります。

 3月15日に、国会議員6人が県庁に行き、知事と会談した際には、「一緒に岩手に行こう」と誘われたものの、小沢一郎さんは「党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。 されに、3月21日には、秘書が和子さんに東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやってくださいと言われて、「私は他の人と同じように水道水を使います」と言うと、秘書は「先生のご飯は僕達でつくります」と言ったそうです。さらには、「洗濯まで買った水でやろうとしていました」。

 「3月25日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。去年(2010年)、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません」。「実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており、後援会長にまで相談していました。もう岩手のことは頭になかったのでしょう」

 ところが、マスコミが多少余裕ができてきた時期なので、「小沢さんが所在不明だ」ということになり、自宅前に20人くらいのマスコミが殺到。「あわてて避難先から3月28日に岩手県庁に行ったのです」。

 「天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称して釣りに出かけました。千葉の漁協で風評(被害)がひどいと陳情を受けると、『放射能がどんどんひどくなる』と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評(被害)で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです」。