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日経平均株価【998407】の掲示板 2015/08/15

なぜ江沢民は「反日」をあおったか(3の1) 

峯村健司著 「十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争」より(1)

実父は旧日本軍の協力者だった

 1995年8月に朝日新聞と会見した際、江沢民は日中戦争の自分の体験についてこう明かしている。
「当時、私は揚州の学生でしたが、日本に侵略者の罪行を見聞きし、大きなショックを受けました。クラスメートと共に、揚州市郊外にある民族の英雄、史可法の墓碑を見つめるたびに、抗日愛国の激情にかられ、革命闘争に身を投じようと決心しました」
 江の故郷、揚州は江蘇省にあり、当時、日本軍に占領されていた。公表されている江の経歴を見ると、1943年から共産党の地下学生運動に参加したことになっている。江に関する伝記によると、叔父が戦時中に命を落としている。
 これについて元党高官を親族に持つ党関係者は、疑問を投げかける。
「江が戦時中、抗日学生運動に参加していたことを示す記録は見つかっていないんだ。むしろ大学時代に日本語を勉強しており、日本には好意を持っていたと思う。それどころか実父は占領していた旧日本軍の協力者だった。その事実を隠すため、叔父の家の養子となったのだ」
 江の伝記によると、養子入りした叔父は28歳のときに死亡している。ただ、旧日本軍ではなく、中国人の武装集団に殺害されているようだ。個人的な戦争体験だけが、江の対日観に影響を及ぼしたわけではなさそうだ。
 むしろこの党関係者が言うように、江の日本語は、日常会話が十分にできるほどの水準だったようだ。会見した日本の要人の多くが、江の日本語を聞いたことがある。(P160~161) 

つづく

  • >>8688

    なぜ江沢民は「反日」をあおったか(3の2) 

    峯村健司著 「十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争」より(3の2) 

    実父は旧日本軍の協力者だった

     上海万博の日本館長を務めた江原規由もその一人だ。・・・
    ――江沢民氏が日本館を訪れたきっかけは何だったのでしょうか。
     その前に視察をした側近の曾培炎・元副首相が、江さんに薦めてくれたようです。
    ――江氏はどの展示に関心を持っていましたか。
     日中交流の歴史を紹介した展示です。鑑真和尚を紹介したところで足を止め、「私と同郷です」としみじみとおっしゃっていました。
    ――印象に残っているやりとりはありますか
     終始ご機嫌な様子で、「日本館は大変よろしい」と日本語でおっしゃいました。それと、突然日本語で歌い始めたのには、驚きました。 
    ――何を歌ったのでしょうか。
     中国のトップを務められた方があまりに唐突に歌われたことに驚いてはっきりと覚えていないのですが、「炭坑節」だったと思います。あと〈もしもしカメよ〉という唱歌だったと記憶しています。
    ――「日本嫌い」のイメージとは、ずいぶん異なりますね。
     日本の生活や文化にずいぶん関心を持っておられるようでした。・・・(P161~162)

    つづく