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日経平均株価【998407】の掲示板 〜2014/12/15
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6029693
>>6029690
1905年1月、ロシアに革命が始まった。史上最初のブルジョワ民主主義革命であった。レーニンに率いられたボリシェビキ党が主導した。この革命は、地主と資本家に対し、強力な打撃を加えた。
この戦争は、経済が軍備の建設に、戦争の進展と結末に対し決定的な影響を与えるものであるとするマルクス=レーニン主義の周知の命題の正しさを確証するものであった。
ロシアの陸海軍の敗北は、多くの点で、ロシアの経済的立ち後れによるものであって、ロシアは近代的兵器と。あらゆる食料品を連続的に供給することができなかった。
日露戦争の敗者はロシアではない、皇帝ニコライ2世だ ⁇ -
6029705
*** 2014年3月9日 08:12
>>6029690
< この戦争は【穏当な】講和をもって終わったとはいえ、ロシアが敗北したという事実を覆い隠すことはできなかった。その責任は専制政府にあった。レーニンは、 【恥ずべき敗北に陥ったのは、ロシアの人民ではなく専制である】と、言った。>
日本は、あと半年も戦争をする資金も兵力も持ち合せていなかったんですよ。偶然の勝利ですね、その証拠に、賠償金を貰っていないですよ。
レーニンは【専制は、戦争の不幸な結末が、内敵の勝利に、すなわち、革命の勝利に等しいことを知っていた。だから、それは、のるかそるかの勝負であった。バルチック艦隊を急派するために、何億ルーブルが費やされた】
ツシマ海戦で戦死したのは士官209名を含む5045名で、ツシマはツァリーズムの不吉な記念碑として歴史の中に収められることになった。
レーニンは、【これは、すべての人が予期していたことであったが、ロシア艦隊の敗北がこんなに容赦ない壊滅になろうとは、だれも考えていなかった。われわれの見ているのは単なる軍事的敗北ではなく、専制の完全な崩壊である】
ロシア軍四平街陣地に後退
内外の国際情勢も悪化した。アメリカ合衆国は、日本の相次ぐ成功に安心したものの、日本があまり強くなることは、アメリカの利益に応えるものではなかった。アメリカは、日本とロシアの講和条約を結ぶ道を探し求めた。
ロシアは、戦争に勝つだけの兵力と手段を十分に持っていた。軍事力は強大だった。だが、専制政府は革命を抑えるために、極東から手を引きたいという欲求を持っていた。
1905年5月25日、ニコライ二世はアメリカ大使に対し、ロシアは対日交渉を開始する用意がある旨通告した。1905年7月27日、アメリカのポーツマス港において講和会議が開かれた。
この戦争は【穏当な】講和をもって終わったとはいえ、ロシアが敗北したという事実を覆い隠すことはできなかった。その責任は専制政府にあった。レーニンは、
【恥ずべき敗北に陥ったのは、ロシアの人民ではなく専制である】と、言った。