ここから本文です
Yahoo!ファイナンス
投稿一覧に戻る

モデルナ【MRNA】の掲示板 2022/07/20〜2022/12/08

585

rak***** 強く買いたい 2022年9月15日 10:29

モデルナが日本で工場

臨床試験の拠点を日本に作り、アジアの拠点にしたい

10年間のパートナーシップ契約を結び政府が一定期間ワクチンを購入する事が工場建設の前提

ステファン・バンセルCEOは「原薬製造を含めて、全ての工程を1カ所で賄える工場を考えている」とワクチン工場の国内建設に意欲を示した

コロナワクチンの他インフルエンザワクチン等の生産にも対応

具体的には10年間の長期的パートナーシップの締結を想定。政府と交渉し既に同様の契約を結んだ「カナダや英国、オーストラリア等と同じようにしたい」意向

コロナウイルスの今後の感染動向は「完全になくなる事はない」として、「インフルエンザのように社会が共存しなければならないものだ」と語った
「最終的には年1回のワクチン接種により、多くの人を感染から守る事ができる」との考え

モデルナが開発したオミクロン型に対応したワクチンは既に承認されている。コロナの従来型とオミクロン型の派生型「BA.1」に対応した2価ワクチンで、近く接種が始まる。現在主流の「BA.4」と「BA.5」に対応したワクチンも申請を進める

遺伝物質「メッセンジャーRNA(mRNA)」の技術を使い、新型コロナの他、インフルエンザワクチンなどの研究開発を進める

ステファン・バンセルCEO「日本の工場で、日本の方々の為にワクチンを製造し、病気の予防につなげていきたい。」政府の要望や国内の感染状況に合わせた製造が可能になると期待

「世界全体的に製造拠点を色々な地域に置くべきだという風に考えています。そうすれば、それぞれの地域で流行する株に対応した形にカスタマイズしたワクチンの製造が可能になる為です。新たにパンデミックが発生した時に、それぞれの製造拠点において、ただちに製造開始する事が出来る。日本政府と話しあいを続けたい。既に我が社のチームは話を始めています」

日本で承認されたオミクロン対応ワクチンにつき、「日本の特に高齢者の人達を今年の冬のシーズンから守る事が出来ればと考えている」と話し、BA.5に対応した別のワクチンも、「できるだけ早く承認申請したい」

新型コロナの変異株「オミクロン株」の新系統「BA・5」に対応した新たなワクチンについて、同席したモデルナ日本法人の鈴木蘭美社長は「11~12月の年内には接種会場に届けられると思う」との見通しを示した

  • 586

    rak***** 強く買いたい 2022年9月15日 11:21

    >>585

    人を病の苦しみから救う為の新薬を 鈴木蘭美

    モデルナはmRNAワクチンであっと言う間に世界に存在感

    日本法人が昨年設立され鈴木蘭美がモデルナジャパンの初代社長に就任。コロナの封じ込めに奔走。鈴木の大きな夢は人類の癌の完治。長く英国で研究。病の苦しみから人類を解放したい

    自宅は軽井沢で週末は英気を養い平日は東京で働く。毎日7時間睡眠し睡眠データを記録

    モデルナのチーフメディカルオフィサー、ポール・バートンから打診「モデルナが日本拠点を開設しトップを探し中。君が社長にならないか?」
    鈴木は逡巡した。自身がスイスの製薬会社日本法人フェリング・ファーマCEOに就任し1年足らず

    鈴木は英国の大学で癌の基礎研究に従事。mRNA医薬の有効性について目を通した論文は相当数に上る

    モデルナは感染症や癌、循環器疾患、希少疾患を対象とした治療薬やワクチンの研究開発を行い「世界で一つしかない、自分の為の抗癌剤」の創出も構想。独自の開発手法を使えば人類の歴史を塗り替えるに違いない

    鈴木は確信し、癌の研究者で夫のロバート・アラン・ハリスに相談し、打診から1カ月後に社長を引き受けると回答。去年11月モデルナ・ジャパン初代社長に就任

    エーザイ欧州本社を経て東京本社で16年に執行役員。17年から英J&Jの製薬部門ヤンセンファーマで前立腺癌、血液癌、免疫疾患等の仕事に携わり上級幹部に。CEOとなったフェリングでは不妊症薬などを扱った

    バートンはヤンセン時代の上司「鈴木はバイオロジーへの造詣が深く製薬業界での事業経験も豊富。科学的な背景を深く理解し込み入った折衝を伴う役割を遂行するのに彼女こそ相応しい人物」

    モデルナ共同創業者でMIT教授のロバート・ランガーは家族ぐるみの付き合い

    鈴木は母の実家がある栃木市で一人娘として生まれる。両親は早稲田大学で出会い熱烈な恋愛の末に学生結婚。出産時、母は大学2年生。離婚後、東京の下町で母子の二人暮らし。母がフルタイム勤務に切り替え鈴木を保育園に預け発熱時は実家の親に。金町の小学校に入学し小3から栃木市の祖父母宅。飯能市自由の森学園に進学し寮に入り、英語が分からず15歳で単身英国。「私は日本人ですが感覚的には英国人。漢字を書くのは未だに苦手」18歳でウェールズ大学に。エクセター大学の社会学科で修士課程

    「私は癌を完治する為に生まれてきたんだ」