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ブレイブフロンティア株式会社の掲示板

レカム掲示板にて、「何のために生きているの?」と、私をクズ呼ばわりした人がいたので、考えてみた。

はて、何のために生きているのか。

おそらく、今の私の年齢で考える限り、明確にこれといって「何のため」に当てはまる物事は見当たらない。が、なんとなく過ぎて行ってしまう時間が心底もったいないと感じているのが現状であり、如何に日一日を過ごしていくべきか、それについて考えることが時々ある。きっと今の私にとって「生きる」ということの通過点がそういう時期なのではないか、とも思っている。

そもそも、「生きる」ということだけで、人のみならず、あらゆる動物、植物、すべての生命体は、死を迎えるまでの全ての時間において、何かに「耐え忍んでいる」のではないか、と私は考えている。

日々、努力を惜しまず自己研磨に励む人は、いくつもの「何か」に耐え忍び、何かを目指して生きているのではないか。

人の人生を語れるほど歳を重ねているわけではないが、人生は結局のところ自分が主人公であり、精神面の強弱により、未来は大きく変わっていくだろう。そこに他人の感情や言動などが入ってくることで、自身が発する言葉や周りに示す態度も変化するだろう。

この人間社会を生きていく上で、慎むべきはやはり己自身であり、他者へ求めることではないのだ、ということを私は常日頃強く実感している。

組織の中で上に立つ人間、いわゆるリーダー的存在であるならば、部下に求めるだけでなく、自身の行動により示すことが最も説得力があると言えよう。口先だけで人は動かないし、変わりもしない。やって見せてこそ、部下は理解し、上司の意図するところを「認識」するのではないだろうか。

人生の大半は働いて時が過ぎていくことを考えた時、やはり重要なのは、ヒューマンスキルではなかろうか。

目の前に立つ相手が、どんな人間であろうと、心理的に相手をコントロールする接し方ができる人間は、自身の生活環境が揺らぐことはほとんどないだろう。人は誰しも感情を持っている、という至極当たり前のことがわかっていながらにして、他人の言動に腹を立てたり、落ちこんだりするのはなぜだろうか。

それは、心の中で、人はいつも周りの人間に対して「求めている」からである。自身の意に反する言葉を浴びせられたり想定外の事態に陥ったりするから、人は感情がブレてしまうのだ。