ここから本文です
投稿一覧に戻る

朕の倒産砲教室(がは)の掲示板

聖徳太子

聖徳太子は、仏教を取り入れながら〇道も厚く信仰するという、今日の日本の原型を作り上げていた人物。
国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を厚く信仰し興隆につとめていた。
(621年2月5日)。享年49で亡くなったとのことです。
太子の死からおよそ20年後、子で皇位継承の有力候補だった山背大兄王ら上宮王家が、蘇我入鹿の襲撃を受けて自決の道を選んだ。
そしてここに聖徳太子の血脈は絶えることになる。
他にも子供はたくさんいたのに、なぜ絶滅したのかは不明。

聖徳太子は人々の請願を聞く機会があったおり、我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上ったが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず一度で理解し、的確な答えを返したという。

法隆寺 建立
太子建立七大寺
四天王寺、法隆寺、中宮寺(中宮尼寺)、橘寺、蜂岡寺(広隆寺)、池後寺(法起寺)、葛木寺(葛城尼寺)

『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三経の注釈書である
『法華義疏』(伝 推古天皇23年(615年))・『勝鬘経義疏』(伝 推古天皇19年(611年))『維摩経義疏』(伝 推古天皇21年(613年)を著した。
いずれも中国からの輸入品である。
宗教と〇様を勘違いしている人が多いが、宗教とは、日照りの時に拝んで雨を降らすなど、科学がまだ発達していなかった時代に、徳のある者が考えた、ただの教えである。
人の心の弱みにつけこみ、色々な宗教が考えだされたが、日本は、儒教や仏教、〇道など、道徳的で無難なものを選んで幸いだったと個人的には思います。