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ANAホールディングス(株)【9202】の掲示板 〜2015/04/28

初代社長は、元朝日新聞社常務取締役の美土路昌一。
2004年頃まで大株主の10位以内に入っていた。
株式会社朝日新聞社の保有株は 24,376,000株。
現在は信託銀行に名義借り(カスタディアン業務)をしているんだろうが、消えている。

  • >>60169

    全日空初代社長 美土路昌一 後に 朝日新聞社長

    岡山県苫田郡一宮村に生まれる。1907年3月に早稲田大学英文科を卒業し、翌1908年1月東京朝日新聞社に入社して社会部員となる。

    1914年8月に日本が第一次世界大戦に参戦すると、従軍記者として青島攻囲軍に参加。
    同年12月社会部次長、1918年1月上海特派員、同年11月大阪朝日新聞社に移って社会部員

    1919年1月社会部副部長、同年9月ニューヨーク特派員、1921年7月東京朝日新聞社に戻って通信部長、同年11月計画部次長兼務
    1923年9月社会部長兼務、翌10月整理部長兼通信部長・編集委員
    1925年2月編集局主幹兼整理部長兼論説委員
    1930年11月編集総務、1933年12月航空部長兼務と歴任した後
    1934年4月編集局長となり、主筆の緒方竹虎が対外的に活躍する中、よく編集局内部を守った。1937年には、飯沼正明操縦士、塚越賢爾機関士による「神風号」の訪欧飛行の指揮を執っている。
    1935年11月取締役
    1936年5月常務取締役
    1940年8月編集総長(1941年8月まで)。同じ岡山県出身の陸軍大将宇垣一成側近の一人であった。美土路に京城日報社長への転出を命じた社長村山長挙との対立から1945年4月常務取締役を辞任して顧問(重役待遇)となり、岡山に戻るが、敗戦後、元朝日新聞航空部次長中野勝義とともに、「興民社」を設立し会長となった。

    1952年、国内民間航空が再開されると日本ヘリコプター輸送株式会社を設立して社長
    極東航空と合併して1957年12月全日空の初代社長に就任。

    1961年11月に同郷の元官僚の岡崎嘉平太に社長の座を譲り、同社会長、相談役に退いていたが、朝日新聞社の内紛「村山事件」

    1964年11月で朝日新聞社社長となる(1967年7月まで)。