投稿一覧に戻る 誉れ武門の名に恥じはなし!の掲示板 2552 節約生活 10月27日 20:48 平重盛(たいらしげもり)-2- 『平家物語』では、 温厚柔和な人物として描かれ、 清盛とは対照的な立ち位置にある。 しかしながら平氏一門次期棟梁の 立場であることから、重盛次男の 資盛が藤原基房の舎人から恥辱を 加えられたときは激怒し、基房の 謝罪に応じずに報復したとあり、 武人としての性格も持ち合わせた。 1172年、重盛家人が春日社の人を 殺害した事件が起こるが、家人を かばって処罰しなかったので、 興福寺衆徒らが蜂起している。 1177年、鹿ヶ谷事件が起こる。 妻の兄弟である藤原成親・師光が 平氏討伐計画の首謀者として 捕まった。しかも成親の娘二人は 重盛の息子維盛・清経に嫁いでおり、 強く結ばれていると思われた絆に 不信が広まった。 また重盛は母が高階基章の娘だが、 二位尼平時子らの一族台頭もあって 重盛を悩ませることになった。 彼の子息維盛が一の谷の合戦後に 一門と決別して去っていることから、 時子派一族とは微妙な関係にあった 可能性がある。 治承3年5月25日、出家。 同年7月29日、没した。42歳。 返信する そう思う1 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
節約生活 10月27日 20:48
平重盛(たいらしげもり)-2-
『平家物語』では、
温厚柔和な人物として描かれ、
清盛とは対照的な立ち位置にある。
しかしながら平氏一門次期棟梁の
立場であることから、重盛次男の
資盛が藤原基房の舎人から恥辱を
加えられたときは激怒し、基房の
謝罪に応じずに報復したとあり、
武人としての性格も持ち合わせた。
1172年、重盛家人が春日社の人を
殺害した事件が起こるが、家人を
かばって処罰しなかったので、
興福寺衆徒らが蜂起している。
1177年、鹿ヶ谷事件が起こる。
妻の兄弟である藤原成親・師光が
平氏討伐計画の首謀者として
捕まった。しかも成親の娘二人は
重盛の息子維盛・清経に嫁いでおり、
強く結ばれていると思われた絆に
不信が広まった。
また重盛は母が高階基章の娘だが、
二位尼平時子らの一族台頭もあって
重盛を悩ませることになった。
彼の子息維盛が一の谷の合戦後に
一門と決別して去っていることから、
時子派一族とは微妙な関係にあった
可能性がある。
治承3年5月25日、出家。
同年7月29日、没した。42歳。