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誉れ武門の名に恥じはなし!の掲示板

平重盛(たいらしげもり)-2-

『平家物語』では、
温厚柔和な人物として描かれ、
清盛とは対照的な立ち位置にある。
しかしながら平氏一門次期棟梁の
立場であることから、重盛次男の
資盛が藤原基房の舎人から恥辱を
加えられたときは激怒し、基房の
謝罪に応じずに報復したとあり、
武人としての性格も持ち合わせた。
1172年、重盛家人が春日社の人を
殺害した事件が起こるが、家人を
かばって処罰しなかったので、
興福寺衆徒らが蜂起している。
1177年、鹿ヶ谷事件が起こる。
妻の兄弟である藤原成親・師光が
平氏討伐計画の首謀者として
捕まった。しかも成親の娘二人は
重盛の息子維盛・清経に嫁いでおり、
強く結ばれていると思われた絆に
不信が広まった。
また重盛は母が高階基章の娘だが、
二位尼平時子らの一族台頭もあって
重盛を悩ませることになった。
彼の子息維盛が一の谷の合戦後に
一門と決別して去っていることから、
時子派一族とは微妙な関係にあった
可能性がある。
治承3年5月25日、出家。
同年7月29日、没した。42歳。