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徒然なる団塊部屋の掲示板
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>>147
紫蘭さん
最近たこ揚げを見ません。14~5年前まで、昭和記念公園のみんなの広場で、あげた経験があります。
連凧は、個人でなく、数人が一緒に作り、合作の楽しみがありました。
大雪の前触れが大きく、雪かき道具夜用意して、待っていましたが、ほとんど降りませんでした。
朝から車が使えました。
ゆうやけさん そちらでは凧上げは、見かけますか?
皆さん、こんばんは。
土佐さん、高知でも凧揚げ大会があるんですか・・
子供のころは、手作りの凧を作って、よく凧をあげました。チャンがけと言って、凧の紐にガラス粉を塗り付けておいて、相手の凧に絡ませてその糸を切るんです。
浜松の凧揚げも有名ですが、こちらでは長崎の凧揚げがオランダ屋敷時代以来の名物になっています。長崎の行事は3月の旗揚げ、5月のペーロン競争が有名ですが、どちらも派手な競争なので見物人も多くて、昔は喧嘩や畑荒らしも多かったようです。、
〇ハタ揚げの畑荒らし 寛政11年(1799年)
3月3日、長崎の町はハタ揚げで賑わっていた。銅座跡の富三郎は小島郷(村)に見物に出かけた。そしてハタの切りあいに見とれ夢中になっているうちに,つい畑に足を踏み入れ百姓に怒鳴られて初めて気が付いた。しかし百姓のあまりの口汚い怒号に富三郎もかっとなり、売り言葉に買い言葉で激しい口論となり、やがて殴り合いを始め、仲裁に入った者にまで手傷を負わせた。
富三郎は手鎖をはめられ町預けになった。仲裁人の手傷もさしたることもなく、畑主の長左衛門からも吟味払い下げの願いが出された。しかし郷中のハタアケについては、特に作物を荒らさぬよう度々お触れを出して注意しているのに、なおその禁を破ったのは無視出来ないとして、長崎奉行所より次のような判決が出た。
「判決」
富三郎・・屹度叱り
(*叱りは昔の刑罰では最低で、きっと叱りは少し厳しいものです)
しらん
(浜松の凧揚げ)