ここから本文です
猫に札束
投稿一覧に戻る

猫に札束の掲示板

鉄道王・根津嘉一郎 ①

万延元年6月15日(1860年8月1日)、根津嘉一郎が生まれました。
東武鉄道をはじめ、多くの鉄道の再建に関わって「鉄道王」と呼ばれ、また武蔵学園の創始者としても知られます。

嘉一郎は現在の山梨県山梨市に生まれました。
父親の嘉市郎は雑穀を商う裕福な商人です。
幼名を栄次郎といった次男の嘉一郎は、ガキ大将として有名でした。
やがて明治10年(1877)には18歳で郡書記となりますが、21歳の時に東京へ出奔。陸軍士官学校入学を目指したものの、年齢超過のため資格なしとされます。

3年後、郷里に戻った嘉一郎は自由民権運動に関心を持ちますが、30歳で家業を相続。商売はうまく、父親が残した家産を増やしました。
家業のかたわら郡会議員、県会議員となり、自由民権運動の集会への警官の過剰な妨害に抗議して、新聞でその名を上げます。

嘉一郎には「売られた喧嘩は買う」といったところがあり、後に彼が関与するいくつもの会社でも、必ず喧嘩をしています。
村長を務めていた頃、郷里出身の実業家・若尾逸平と出会い、また郷里の先輩・雨宮敬次郎とも知り合いました。
彼らは後に「甲州財閥」と呼ばれることになります。
若尾から実業は経済の動向、特に将来性を見抜くことが大切であることを学び、今後、「乗り物」と「灯り」が有望であることを示唆されます。

若尾の示唆の影響からか明治29年(1896)、37歳で再び東京に出た嘉一郎は、日本郵船をはじめ海運株を大量に買って、一時は大儲けしますが、株の暴落とともに大借金を負う痛い目を見ました。
しかしこの嘉一郎の大胆な動きは実業界の注目を集め、徴兵保険株式会社の設立発起人に推されることになります。