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信玄神神社の掲示板

嵯峨天皇の時代に公卿の娘の橋姫は、嫉妬心に狂い夫を呪うために鬼になろうとしました。貴船神社に7日間こもって貴船大明神に「私を生きながら鬼神にしてください」と願います。

貴船大明神は橋姫を哀れに思い、「真に鬼になりたければ、姿を変え宇治川に21日間浸かりなさい」と告げられます。

橋姫は都に戻った後、髪を5つに分けて角にみたて、顔に朱をさし、体には鉛丹を塗り赤くしました。鉄の輪に3本の脚がついた台を逆さにして頭に乗せ、3本の脚に松明を燃やしました。

口には両端を燃やした松明をくわえ5つの火を灯していました。橋姫の鬼のような姿を見た人はショックで亡くなってしまいました。

宇治川に21日間浸かっていた橋姫は本当に鬼になりました。

橋姫は妬んでいた女性や夫の親族だけでなく、関係ない人々まで襲うようになりました。男性を襲うときは女性の姿、女性を襲うときは男性の姿になりました。京の人々は恐れ「申の時(15時~17時)」を過ぎたら家にこもるようになりました。

その頃、源頼光が四天王の1人の源綱(渡辺綱)を一条大宮に向かわせます。夜の危険に備えて源綱は名刀「髭切」を手にして向かったのです。

源綱が一条堀川の戻橋を渡るときに、雪のように白い肌をした20前後の女性を見かけました。「夜は危険なので、五条まで送りましょう」といい、馬から降りて、その女性を乗せました。正親町付近で女性が「家は都の外なのですが、送っていただけませんか?」と聞いてきたので、源綱は「わかりました。お送りします。」とこたえました。

すると突然女性は鬼に姿を変えて、源綱の髪をつかみながら「愛宕山へいきましょう」といい、共に北西へ飛んでいきました。しかし慌てず源綱は名刀の髭切で鬼の腕を切り落とします。源綱は北野天満宮に落ち、鬼はそのまま飛んでいきました。

貴船神社の呪い!行かないほうがいい?怖い理由とは
貴船神社の呪い「藁人形や絵馬の呪い」「奥宮で現在もつづく丑の刻参り「カップルは貴船神社にいかない方が良い?」そんな噂も聞かれます。
貴船神社はスピリチュアルの世界では「水の神様」や「縁結びのご利益があった」「ご利益のあるお守りの種類が豊富」「龍穴で開運エネルギーを感じた」と、いわれます。
「呪いがある」といわれる理由の1つは、貴船神社が「丑の刻参り」の発祥の地とされていることです。
貴船神社の呪いの由来は、「平家物語」の異本「源平盛衰記」に収録の「剣巻」に記載されている言い伝えです。
源綱から見せられた鬼の腕に、源頼光は大変驚き、安倍晴明に相談します。安倍晴明は「源綱は7日間休養をしてください。鬼の腕は私が仁王般若経を読んで封印します。」といいました。鬼になった橋姫は安倍晴明により退治されたのです。
宇治川には「橋姫神社」があり、宇治橋を守っています。この神社の御祭神は「橋姫」「瀬織津姫」とされています。橋姫は現在は橋を守る神様となっています。
ただ、橋姫は嫉妬深いので縁切りのご利益があるともされています。「貴船神社は奥宮が怖い」「貴船神社の奥宮の呪い」といわれますが、何故でしょうか?貴船神社は「丑の刻参りの発祥の地」ですが、実は現在も丑の刻参りが行われているといわれています!
神社の境内で、五寸釘が打ち付けられた藁人形が見つかることがあるようです。
特に奥宮周辺の木には五寸釘で藁人形が打ち付けられたような穴がいくつも残っているようです。奥宮は「龍穴」があるといわれているため、パワーが強いスポットでもあります。貴船神社がいつごろ創建されたか、年代は不詳となっています。しかし社伝には約1300年前には、御社殿の建て替えが行われたと記載があるようです。歴史が大変古いことがわかります。
また、貴船神社の奥宮には伝承があります。
5世紀の初めに、玉依姫(たまよりひめ)が、浪速の淀川から黄色い船に乗り、水源を求めて貴船川をのぼったそうです。
そして、たどり着いた場所に社殿を建て、それが貴船神社の始まりといわれています。「黄船」が「貴船」の由来とされています。

信玄神神社 嵯峨天皇の時代に公卿の娘の橋姫は、嫉妬心に狂い夫を呪うために鬼になろうとしました。貴船神社に7日間こもって貴船大明神に「私を生きながら鬼神にしてください」と願います。  貴船大明神は橋姫を哀れに思い、「真に鬼になりたければ、姿を変え宇治川に21日間浸かりなさい」と告げられます。  橋姫は都に戻った後、髪を5つに分けて角にみたて、顔に朱をさし、体には鉛丹を塗り赤くしました。鉄の輪に3本の脚がついた台を逆さにして頭に乗せ、3本の脚に松明を燃やしました。  口には両端を燃やした松明をくわえ5つの火を灯していました。橋姫の鬼のような姿を見た人はショックで亡くなってしまいました。  宇治川に21日間浸かっていた橋姫は本当に鬼になりました。  橋姫は妬んでいた女性や夫の親族だけでなく、関係ない人々まで襲うようになりました。男性を襲うときは女性の姿、女性を襲うときは男性の姿になりました。京の人々は恐れ「申の時(15時~17時)」を過ぎたら家にこもるようになりました。  その頃、源頼光が四天王の1人の源綱(渡辺綱)を一条大宮に向かわせます。夜の危険に備えて源綱は名刀「髭切」を手にして向かったのです。  源綱が一条堀川の戻橋を渡るときに、雪のように白い肌をした20前後の女性を見かけました。「夜は危険なので、五条まで送りましょう」といい、馬から降りて、その女性を乗せました。正親町付近で女性が「家は都の外なのですが、送っていただけませんか?」と聞いてきたので、源綱は「わかりました。お送りします。」とこたえました。  すると突然女性は鬼に姿を変えて、源綱の髪をつかみながら「愛宕山へいきましょう」といい、共に北西へ飛んでいきました。しかし慌てず源綱は名刀の髭切で鬼の腕を切り落とします。源綱は北野天満宮に落ち、鬼はそのまま飛んでいきました。  貴船神社の呪い!行かないほうがいい?怖い理由とは 貴船神社の呪い「藁人形や絵馬の呪い」「奥宮で現在もつづく丑の刻参り「カップルは貴船神社にいかない方が良い?」そんな噂も聞かれます。 貴船神社はスピリチュアルの世界では「水の神様」や「縁結びのご利益があった」「ご利益のあるお守りの種類が豊富」「龍穴で開運エネルギーを感じた」と、いわれます。 「呪いがある」といわれる理由の1つは、貴船神社が「丑の刻参り」の発祥の地とされていることです。 貴船神社の呪いの由来は、「平家物語」の異本「源平盛衰記」に収録の「剣巻」に記載されている言い伝えです。 源綱から見せられた鬼の腕に、源頼光は大変驚き、安倍晴明に相談します。安倍晴明は「源綱は7日間休養をしてください。鬼の腕は私が仁王般若経を読んで封印します。」といいました。鬼になった橋姫は安倍晴明により退治されたのです。 宇治川には「橋姫神社」があり、宇治橋を守っています。この神社の御祭神は「橋姫」「瀬織津姫」とされています。橋姫は現在は橋を守る神様となっています。 ただ、橋姫は嫉妬深いので縁切りのご利益があるともされています。「貴船神社は奥宮が怖い」「貴船神社の奥宮の呪い」といわれますが、何故でしょうか?貴船神社は「丑の刻参りの発祥の地」ですが、実は現在も丑の刻参りが行われているといわれています! 神社の境内で、五寸釘が打ち付けられた藁人形が見つかることがあるようです。 特に奥宮周辺の木には五寸釘で藁人形が打ち付けられたような穴がいくつも残っているようです。奥宮は「龍穴」があるといわれているため、パワーが強いスポットでもあります。貴船神社がいつごろ創建されたか、年代は不詳となっています。しかし社伝には約1300年前には、御社殿の建て替えが行われたと記載があるようです。歴史が大変古いことがわかります。 また、貴船神社の奥宮には伝承があります。 5世紀の初めに、玉依姫(たまよりひめ)が、浪速の淀川から黄色い船に乗り、水源を求めて貴船川をのぼったそうです。 そして、たどり着いた場所に社殿を建て、それが貴船神社の始まりといわれています。「黄船」が「貴船」の由来とされています。