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温故知新
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>>98062

茶屋四郎次郎は家康の家臣。家康と姐さんは
「月とすっぽん」
でしょう。

https://reki-historia.com/2023/03/26/tyaya-siro-ziro/

茶屋四郎次郎という名前は、正確にはあだ名(通称)に近く、彼の正確な名前(諱)は、中島清延だといいます。

武士みたいな名前だと思った人がいたら、ドンピシャで正解です。

茶屋四郎次郎は信濃国守護・小笠原氏(清和源氏)の庶流で家臣であった中島氏の出身でした。

山城国蟹江城城主・小笠原小太郎貞興の孫、小笠原宗延が山城国中島の地を得たことから「中島氏」と名乗るようになったようです。

小笠原氏支流の中島氏は、家康の家臣となった家も散見され、寛政重修諸家譜にもいくつか「中島氏」が掲載されています。

中島宗延の子・明延はのちに武士をやめてしまい、大永年間(1521~1527)頃に京で呉服屋になったといいます。

戦国時代くらいはまだ武士と農民・商人の身分は流動的で、武士が農民になったり、商人になることも珍しくありませんでした。

たとえば斎藤道三が油商人(道三の父という説あり)からのし上がったという話があることは有名ですよね。

そして商人になった明延の後継者が中島清延、初代茶屋四郎次郎でした。

ちなみに、茶屋四郎次郎の名前「茶屋」は実は苗字ではなく、正確にいうと屋号です。

茶屋四郎次郎の経営していた呉服屋さんが足利将軍家と懇意にしており、将軍が茶を飲むために立ち寄っていたことがあることからついたと言われています。

ちなみに、「四郎次郎」という名前は不思議に思う人も多いでしょう。四郎なの?次郎なの?と現代人の感覚からだとなってしまいますよね。

実は「四郎次郎」という名前の意味するところは、正確には「四郎の次郎」であり、つまるところある人の四男の次男、という意味合いだそうです。



107352
M・讃歌8月27日 09:12
>>107349



変わろうとする自分、しっかり、商って参ります〜

わ、は,は、は、は〜…



茶屋四郎次郎〜

https://youtu.be/mf-BrpWH1vs