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トレーダー生活の掲示板

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先日の続きですが、小、中学の同窓会(クラス会でなく全クラスの同窓)は4年毎位ですから、これまで3回くらいですか。 3時間で演説、食事がありますから、正味半分ぐらいがフリートークで60年の空白は序々にしか解らないのですね。

同期の卒業生1000人以上いた中学同窓会がありました。 共産党知事、蜷川さんの受験競争反対、 「12,15の春は泣かせない」 のキャッチフレーズでの27年間の市政結果は悲惨ですね。   (=受験勉強不要=高校も近い1校のみ=平均値教育で全国最低レベル?→6〜70%?が中卒止まり)

大学進学したのは、私以外たったの3名?しかいない。 親が特別な家柄の人のみ(運輸省、教授、住職)、あの優秀な大勢の人は全く才能が生かされてないばかりか、適職にも付けず、悲惨な人生で同窓会にも来ない。  私から見ると1100人もいるんですから優秀な人は多かったのに、残酷です。

その中でも、数年後の夜間入学とか、企業内の就学なんかで、なんとか這い上がった人達が参加しています。 

私は戦争遺児、12才から丁稚奉公状態ですから、自分だけが苦労をしたと思っていましたが、聞けた人は私以上に幼児期から悲惨な状態でした。 やはり丁稚で金儲けはやっていましたから、12才から大学卒までは、一番カネ回りが良かった。長時間でしかも365日労働で勉強時間が与えられなかっただけ。

ほとんどの人が食べる物が無いと言っていた。米の無い人は、弁当が無く校庭でかなしそうにしていた。 クツが買えなくワラ(草)で通学、 8人家族で2部屋しかない、6畳に雑魚寝していた、なんで勉強なんかできるかと。

新聞配達、牛乳配達で家計を支えて中学出て、松下へ部長までやったのもいた。 高卒で警視庁へ試験に挑戦、警視くらいの友達もいた。クツが無く労働で足腰強いから日本のトップランナーから大手生保の役員近くまで、・・・・・・・

同窓会に来てくれた人は、苦労の中やっと登りつめた人ばかりのようです。 しかし、みんなものすごい貧乏だった事が解りました。 しかし、やはり景気最悪の戦後でも、中央に近い職業、既得権のある業種・企業は、ごく一部ですが恵まれていた事は解りました。

しかし、「27年共産市政、財閥、既得権、京都教育オンチ・・・・・・」を十分理解できる人いないような、 中高卒で地元中小へ、転勤も無く他所の世界知らない人、いまさら理解できない・・・・・
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fancyさん心配ですね。