検索結果
-
雪江宗深(せっこうそうしん) 1408~1486 室町時代中期の僧。摂津国出身。 建仁寺の文瑛法𤫂のもとで得度、 正深と名付けらえた。 のち尾張瑞泉寺の日峰宗舜に参じて、 日峰の命で義天玄承に師事。 諱は宗深と改名し、雪江と号す。 のち養源院塔主となり、義天の寂後に 竜安寺に住む。 1462年、大徳寺に入ったが3日で退く。 1467年、応仁の乱では八木竜興寺に 避難した。 1477年、妙心寺再興の綸旨を賜り、 復興に尽力する。 1479年、中風を患う。 文明18年6月2日、寂す。79歳。 勅諡は仏日真照禅師。 法嗣に景川宗隆・悟渓宗頓らがいる。
-
絶海中津(ぜっかいちゅうしん)~1~ 1334~1405 室町時代初期の僧。 土佐国高岡郡津野出身。 在地豪族津野氏の一族。 建武元年11月13日生まれ。 はじめ道号を要関とする。 のち明に渡って李潭宗泐から 絶海の道号を受けて改称。 別に蕉堅子・蕉固道人と号す。 義堂周信と同郷。 1348年、上洛して天竜寺に喝食。 1350年、剃髪して沙弥となり、 1351年9月30日、夢窓疎石に参じて 彼が没するまで付き従った。 1353年、建仁寺の竜山特見の会下に 参加した。 1354年、南禅寺に移り、大林善育の もとで湯薬侍者を勤める。 1364年、鎌倉建長寺の青山慈永に 参じて学び、さらに大喜法忻の会下に 蔵主・焼香侍者を任される。 1365年5月、義堂周信の鯖見善福寺に 入り、衣鉢侍者を勤めた。 1368年2月、明に渡り、杭州天竺寺の 李潭宗泐に師事する。 ついで霊隠寺・護聖万寿寺に赴き、 用貞輔良・清遠懐渭に会う。 1376年、明の洪武帝との謁見を果たし、 熊野三山詩を披露した。 1378年、帰国。
-
嵯峨は余り寄ったことはないです いつも通り過ぎます 電車ですが もっと沢山、京都をまわれば良かったですね 建仁寺の天井画が私は好きです 古い絵では無いですが 双竜画は迫力がありました 石庭を見ながら本を読むのが好きでした そのまま寝てしまうことが多かったです 懐かしいです
雪村友梅(せっそんゆうばい) …
2024/05/12 17:22
雪村友梅(せっそんゆうばい) 1290~1346 南北朝時代の僧。越後国出身。 臨済宗一山派。 別に幻空と号す。 一山一寧に参じ、のちその法を嗣ぐ。 1307年、元へ渡る。 元叟行端・虚谷希陵らについて学ぶ。 1313年、ゆえあって投獄されたが、 無学祖元の故事(臨刃偈)を用いて 赦され、のち翠微寺に住す。 1328年、帰国。 信濃慈雲寺に住し、のち徳雲寺を開山。 1337年、播磨法雲寺を開く。 1343年、万寿寺住持。 1345年、建仁寺住持。 貞和2・正平元年12月2日、寂す。57歳。 著書に、 『宝覚真空禅師語録』・『岷峨集』 がある。 法嗣は雲渓支山・太清宗渭ら。